DQXを始めるにあたって、気になったことが1つ。
『 プレイヤーは勇者じゃない 』ということ。
賛否両論あるけれど、ザラにとっては、
この設定は喜ぶべきものでした。
広い世界を、名もない冒険者となって、自由気ままにさすらいたい。
オンラインゲームを楽しむ上で、自分が、世界の救世主である
必要は全くない、というのが持論であったからです。
ドラクエXはその辺わかってるなー、と、
始める前は勝手に思っていたのですが、
いざキャラメイクが終わって世界におりたってみると・・・
『 主人公 』はエテーネの民の末裔で、
『 時渡り 』の力を持った特殊な存在ということが明らかに。
また、『 生き返し 』の秘術によって、
『 他人の体 』に乗り移って甦ります。
さらにVER2では、『 神 』によって生まれながらに
『 勇者の盟友 』としての『 使命 』と『 力 』を
授けられている人物という設定も明かされました。
うん・・・確かに、勇者ではないね・・・
『 勇者 』ではないけど・・・
これ、『 勇者 』と何が違うの/(.^.)\
この時点で、ザラの中の人によってメイキングされたキャラは、
『自由気ままな冒険者ザラターン』=『プレイヤーの分身』である前に、
『 DQ10の主人公 』、『 世界にとって特別な存在 』
としか見えなくなってしまい、少々幻滅したのを覚えています。
(;゜ロ)< いや、普通に八百屋の息子とかでええねん!
(;゜ロ)< フツーの冒険者がええねん!
でもまあ、フツーの冒険者に倒される魔王とかはいないだろうし、
『 ドラゴンクエスト 』の看板を背負ってある以上、
伝説の武具などを纏って、
大魔王的な、強大な存在とぶつかり合う主人公、
という構図は避けてとおれなかったのだろうなあ、と
無理矢理おのれを納得させたのでした。
その名残か、
ザラターンの冒険日誌には、
ザラ本人を『 最後のエテーネ 』という存在として記してある
描写は少ないはずだと思います。
『 世界にとっての救世主 』である前に、
『 しがない一冒険者でありたい 』
という思いを込めて、その辺は意図的にうやむやにしているのですw
最後のエテーネの物語は、『 DQXの正史 』として楽しむ。
それとは別の、縁と日常が織りなす、
クエストに乗らないストーリー(たとえば上の写真のようなw)こそ
『 自分自身の、DQXの冒険 』として楽しむ。
・・・何を書いてあるのかわからないかもしれませんが、
2012年当時から今日に至るまで、
ザラターンはそういう遊び方をしていますw
さて、今回は自分のプレイスタイルを語っただけで、
なんの軌跡にもなってないような気がするこの日誌・・・
徒然なるままに、もうちょっと続けてみようと思います
~~~続く~~~