五大陸を舞台にしたバージョン1も、それなりに振り返ることができたのではないかと思うので、ラスボスともいうべき冥王ネルゲルさんについて思い出してみたい。もちろんこれは個人的な感覚ではあるのだが、このヒトは疑いなく敵である一方で、マメミムはこのヒトに対してそれほど悪感情を抱いてない。五百年前、彼のためにどれだけの人間がしんだか分からないし、そもそもエテ公たちの村を滅ぼしてマメミムをころした張本人でもあるのは承知の上だ。
もちろん自分では理由は分かっている。彼は疑いなくワルモノだが、悪いコトをするのに何の言い訳もしない。だからドラクエ世界にたまに登場する、コモノくささや偽善者ヅラといったものがない。
レイダメテスが落ちるときに思った人はいるだろう。ネルゲルとは別に巨大な悪い奴がいるらしい。その正体が知れるのは先の話になるのだろうが、少なくともはっきりしているのは、仮にネルゲルを利用して世界を滅ぼそうとした輩がいたとしても、ネルゲルは利用されたのではなく、彼自身の意志で世界を滅ぼそうとしていた。
彼は利用されていただけだったのね、とか、彼も実はいいところがあったのよ、とかいった言い訳がない。もちろんそういった言い分をすべて否定はしないが「いやでもあんたのやったこと許されないでしょ?」という思いを抱いてしまうとどーしたって受け入れがたい。
これはあくまでタトエだが、人間がエルフの娘を殺したから勇者の村を壊滅させましたとか、村人に裏切られて監禁されたから人間はみなごろしじゃあとか言われても、そんな話はこちらの知ったことではない。そうですかかわいそうですねと言ってもらいたいのかもしれないが、そういうのは占い師の館にいってアルカナ・セラピアを受けてもらうか、つるぎの酒場で飲んだくれてくだをまいたら親切な魔剣士が話を聞いてくれるかもしれない。
冥王ネルゲルさんにはそれがない。自分が生まれたときに、多くの人間を犠牲にして生まれた彼は、どうしたって人間に許されたり受け入れられる存在ではないし、彼自身もそんなことを気にしない。彼はたぶんいままで食ったパンの枚数なんて覚えてもいないだろう。
彼がエテ公の村を襲ったのも、彼自身が言っていたように時渡りの術とやらを使える者をころして後顧の憂いを断つためだった。彼の目論見は成功したし、エテマメはしんで彼を打倒したのは本来何も関係がないドワマメの肉体だった。だからエテマメはドワマメに借りがあるので、彼女の願いだけは何があっても叶えるべきだと思っている。それが語られるのは後日談だが、ドワーフのそれは本当によい話だったので他種族のそれも知りたくなったほどである。っていうかドガ兄さんかっこいいよすげーよ。
ここでドガの話を始めてしまうと止まらなくなるのでほどほどにするが、彼の格好良さはメルー公や村王の「自分以外のものを守る格好よさ」とは異なる、自分が信じるものを貫く格好よさにある。
そしてそういう自分の信じるものを貫くスタンスは、少なくとも冥王ネルゲルさんにも存在する。彼はワルモノとして生まれて、ワルモノとして世界を滅ぼそうとすることにためらいがないし迷いもない。冥王として、生きるものすべてにシを与えるのが彼の望みのようだから、最初から人間たちとの妥協点なんて考えてもいないし敗けても反省もしないし命乞いもしない。彼の主張を受け入れることはできないし、許すとかありえないが、彼の言い分ややったことを理解はできる。
なんでわざわざこんなことを思ったかというと、後にバージョン2のとある場面で、マメミムがおそれるモノとして冥王ネルゲルぽい姿と戦わせられる場面があって「え?」と思ったのだ。いや別に彼はたいしたヤツだったとは思うが怖くはねーよと思い、これはマメミムにその姿を用意した者がよほど人の心を読めない輩だったからだと考えている。
そんなわけで、手を取り合うことなんかできない冥王ネルゲルさんが、堂々と人間を滅ぼしにきてほとんどそれに成功していたにも関わらず、きちんところしたはずのマメミムに打倒されてしまったのは彼の落ち度とは言い難い。エテマメとしてはちょっとしたルールの外で助けられて、しかも冥王を倒したのはドワマメなんだから、いばることはできないかなと殊勝に考えることにしている。
そしてフルッカはいまもランドン山脈の山頂で樹氷になりかけている。