ゴーラの若き芸術家マデっさんは、ある日あさごはんを食べているときに世界があまりにも理不尽なことに悲嘆した。彼の悲嘆はやがて二つの思いに成長した。ひとつは女神ルティアナと彼女の創造物への嫌悪、もうひとつは自分ならもっとすばらしい世界が創造できるという渇望だ。こうして大魔王マデサゴーラが登場する。
新世界を創造してひとびとが移住できる理想郷をつくる。そう考えたマデは女神の創造物には愛着がないから、彼の新世界をつくるためにアストルティアも魔界もぶっこわしてためらいがなかったろう。だけど彼は冥王ネルゲルのように「生きとし生けるものみんなしんじゃえ」ではないし、本質的にロマンチストなところがあった。ひとの心理をとらえるのはそんなにうまくないけれど、ひとの感情や愛情がわからない朴念仁ではなかった。
「生命のあがき、苦悩、葛藤」
それが芸術家としてのマデっさんのテーマだったらしい。彼はまちがっても人格者にはほど遠いし、我が道を突っ走ってひとを顧みないところもあったけど、理不尽な世界で生きようとするひとの営みを見過ごすことはできなかった。ついでにいえば子供っぽくて遊園地やテーマパークがだいすきだった。
・こもれび広場に謎の地下水路
・ピラミッドに黄金の財宝が隠されてる
・ワルド水源にウォータスライダーク
断言してもいいけれど、モンセロ温泉郷が未完成だったのはもともと観光地だったここに「スパリゾートマデッサンズ(仮称)」を建設すべく彼が構想を練っていたからにちがいない。あるいはもしも彼が光の河をわたって現れたのが、レンダーシアではなくプクランドだったら、オルフェアの町や風車塔を見てどんなふうにインスピレーションを刺激されたか興味があろうというものだ。
閑話休題。
そのマデサゴーラが彼の世界に蘇らせた、数少ない人間が幻想画家ルネデリコと童話作家パンパニーニのふたりだったのは、彼らの作品を高く評価していたことのあらわれだろう。勇者すら創造しようとしたマデサゴーラが、英雄ザンクローネを描いたパンパニーニに興味を持ったのはわかる。マデが創造した魔勇者が、後にほんとうに勇者として覚醒するのは創造者としてのマデが誤っていなかったということだ。
ではルネデリコはどうかといえば、彼の幻想画は訪れた者に実際の追体験をさせることができる、芸術を超えてもはや魔法の域に達する超絶技巧の作品群だ。その彼の最新作が「夜の神殿に眠れ」をクリアした後に手に入る一枚の絵だけれど、これが300年前の事件だからルネデリコの存命はそれより以降の話だろう。
たぶん幻想画家ルネデリコの最新作を見たマデは、ジャイラ密林の遺跡を舞台にしたふたりの物語に「生命のあがきと苦悩と葛藤」を見た。ルネデリコはそれを剣と短剣と一冊の手帳で描いたし、マデサゴーラも同じものを彼のジャイラ密林に創造したけれど、それだけではどうしても納得できなかったマデは、野暮を承知で幻影を描かずにはいられなかったのだと思う。幻想画「一期一会」の作品ではなく、幻想画にうながされて訪れることができる幻影だ。
この幻影を描いたマデサゴーラはルネデリコよりも芸術家としては一歩を譲るのかもしれないけど、ルネデリコよりもはるかにロマンチストだったことは疑いない。
そしてそのロマンチストのおかげで、野暮を承知で、幻影を承知で、たどり着くことができなかった未来を目にすることができたことに感謝をしてやらなくもないのだ。