周知のとおり、ナイトコンテストはファラスに全ぶっぱしてそれを後悔もしていないのだけど、今回のギルガラン一位にはすなおにおめでとうと言いたくなる。Ver.4の白眉たる古代オルセコ編の中核キャラで、現代に伝わるオーグリードの伝統をつくりだした「大王」と呼ばれるのもうなずける人物だ。アストルティアには歴史上はこう扱われてるけど実はそうでもなかったという例が散見されるけど、ギルガラン大王が偉大という評価は揺るぎそうもない。
歴史上ギルガランとグリエは同一人物だ。
ふたりのどちらが生きていたとしても「あいつならこうするだろう」が彼らの行動原理になるのだから、グリエの勇気ある叡智とギルガランの優しき強さが共存する人物像ができあがる。ギルガランにすればグリエと共同統治をしているようなもので、これで賢王にならないはずがない。もちろんグリエの歴史でもこの事情は変わらない。古代オルセコの記録は当時のムニュ大臣が残していて、宝物庫に平積みにされた大量の書を見つけることができる。
ところでギルガランは美形でグリエは美少年だ。
これは冗談に思えるけどたぶん重要で、本来オーガの美意識におけるハンサムとは村王クリフゲーンのようにがっしりした体躯と頑丈なあごをして、それでいて甘いハンサムというのが理想ではないかと思ってる。エルフのような繊細なうつくしさはオーガの美意識にそぐわない。病弱な美少年グリエはオーガを導く王として頼りない。後継者たりえぬと見なされた彼が、人を導く叡智を磨いたことにどれほどの努力を積み上げたことだろう。
そしてグリエのいきさつを知っているギルガランは知っての通りオーガらしくない美形だ。つまり彼はオーガの王として望まれるハンサムな姿をしていない。あごが細くて腰まわりも細く、肩から胸まわりが異常なほどがっしりと鍛えられている。やや想像どころか妄想込みで、もともとギルガランは女顔で貧弱な骨格をしていたのではないか。
幼いギルガランは何を考えただろうか。
病弱な兄弟グリエは王にふさわしくないとして、自分が王になることを望まれた。それでもグリエがいずれ兄弟を支えようと叡智を磨いていたことは知っていて、決して体格に優れているわけでもないギルガランがひたすら鍛錬を続けた結果がいまの姿なのではないか。オーガらしくない美形は、ギルガランがグリエに負けじと努力を積み上げた結果手に入れたものだったのではないか。
彼らはおたがいが努力のひとであることを知っている。オーガの王にふさわしくない肉体に生まれながら、他人が想像もできぬ努力を続けていまの姿を手に入れたことを知っている。グリエならば大王にもなれる強い意志と深い叡智があることを、ギルガランならば大王にもなれる寛大な心と強靭な肉体があることを彼らは見て育ったのだ。
このふたりの兄弟に仕えながら、宝物庫に平積みにされるほどの日誌を書き綴ったムニュ大臣の心情は想像に難くない。それは日誌の表題に兄弟のどちらの名前を先に書くべきかしらというところからはじまって、ある日は厳しい鍛錬でくたくたになったギルガランのところに偶然通りがかったグリエが汗に濡れたままだと風邪をひくよとやさしげに差し出したタオルによけいなおせっかいをと毒づきながらタオルをひったくる兄弟の姿とか、またある日はちょっとした酒場通りで酔ったいきおいのままグリエの病弱さを揶揄する声を聞いたギルガランがお前などになにがわかるとカッとして胸ぐらをつかんだところをたしなめにきたグリエに止められるけど別れ際にちいさくありがとうとか言われてフンとそっぽを向くギルガランの姿とかをぐうぜんムニュ大臣が見かけたとすればその日の彼女の日誌には薄い本が立つほどの分厚い記録がびっしり書き込まれたにちがいないのである(すべて妄想です)。
つまり何がいいたいかといえば。
歴史上ギルガランとグリエは同一人物のようなものなのだから、来年のナイトコンテストで用意されるギルガラン像は金パラ像のようにさわるとギルガランまたはグリエの姿になるようにしてもよいのではないか。できれば今回のギルガラン像と並べて影によりそうような姿にしてくれると好もしいと実現すらしていない欲望を図々しく語る。
そして登場人物が増えて予選枠が足りていないことを思えば、この方法なら像のバリエーションを増やすこともできてリィンと切り替えできるラウル像とかマローネと切り替えできるパドレ像なんてのもあればけっこうなひとが10万Gぽっちのはしたがねを出してももう一体の像をセットで購入するだろうと実現すらしていない欲望を図々しく語る。
ちなみに今回のギルガラン像は太猫とのセットがすばらしく合うと思っている。