ひさびさにグランゼドーラの地下に呼び出される。叡智の冠のじじいどもばばあどもが雁首を揃えてるといえばルシェンダにひきにくにされてしまうから、お行儀よくしてると賢者マリーンが遠地から顔を見せてじじいどもの変わりぶりを楽しそうに見ていたけれど、彼女の「理想の男性像」を思えばユシュカが若造扱いされるのも含めてきのどくに思わなくもない。
ジャゴヌバに対抗するために女神ルティアナを復活させる。チカラにチカラをぶつける発想はともかくとして、その方法を伝えるという光の郷フィネトカを目指す。よく考えたらフィネトカの連中がこちらを迎えに来てもよいのではとも思うけど、光にみちびかれて銀の森を進むのは気分がよいし黒宝箱も釣り場もあるから大目にみてやろう>この俗物め
とはいえ郷にいる六聖陣から話を聞いて、これまでたぶんそうだろうなと思ってたことを確信する。というよりも、数千年の記憶を受け継ぐばあやこと極天女帝が自覚もなくすべてを語ってくれた。
神話の時代、彼らはイルーシャとナラジアをいけにえにした。
女神を復活させるためにイルーシャはもう一度いけにえになりなさい。
これが六聖陣の伝えるありがたい記憶である。ルティアナとジャゴヌバの魂をそれぞれ魔界と光の河に押し込めていけにえが蓋をしてたから、こんどはいけにえを器にして神様を復活させなさい。何千年を経てもこんなばかな方法しか思い浮かばない。自分以外が犠牲になってくれるのだから、彼らはよろこんでうれし涙を流すだろう。
イルーシャが嫌だといえば、マメミムはストーリーのクリアを放棄しても彼女の意思に従っただろう。誰だってしにたくはないけれど、それでも守りたいものがあるというなら、彼女を止める権利もマメミムには存在しない。ファラスもナジーンもモモリオンも、彼らはしのうとしたわけじゃない。守るべきものを守るためなら、しんでも悔いはなかったというだけだ。守りたいものがあるならば、やるとかやらないとかりくつをこねる前に守ってみせるというだけだ。
祠に封じられた邪神たちの軌跡をたどる。
復活の儀式に向かったルファ神殿で、マメミムと勇者姫と魔王たちとエステラさんとその他一行を遮ったのは、二柱の邪神ナントカとカントカだ。邪神とかどうでもいいけどここに来てようやくアストルティアと魔界が、というよりもばかだった魔王たちがようやく手を結ぶことができた。カイとかダンとかヨクとかいう三位一体の邪神をたたきのめす。
アスバルは基本的に大砲だから、ユシュカは敵の攻撃を確実に避けてここぞというときに動きを止める。ヴァレリアは基本的に肉だから、アンルシアはフォローと回復に専念する。最初の二戦は問題なく勝てて、問題はないけど問題だったのはマメミムとエステラさんとシンイという男の三人組。シンイが陣を敷いてエステラさんが魔法攻撃してくれるのはいいけれど、どうぐ使いをしているマメミムの役割がシンイとまるかぶりする。つまりエステラさんの足元に確実に陣を敷くマメミムがいれば以下略
シンイ、お前はようなしだ(略してない)。
待ち構えていたピュージュも正体をあらわすけど、こんなチンピラゴボウくんでは賢者マリーンの足元にもおよばない。チカラだけが取り柄の邪神が、そのチカラも弱いとか雑魚でしかない。この期におよんで「あれえ?おっかしいなあ」とでも思ったかもしれないが、大物のつもりで雑魚でしかない彼はピュージュのままだった。
そして。
ナラジアの姿を借りたジャゴヌバは言った。封じられた女神を復活させることは自分が復活することでもある。つまり復活を望むジャゴヌバにとってナントカやピュージュは倒されるべき存在で、自ら生み出した邪神をむだじにさせることに何の疑問も感じてない。こいつは自分が強いから、自分以外の存在にまるで興味がない。
復活したルティアナは二柱の邪神をルティアナ砲でしとめると、ジャゴヌバと戦ったあげく散ってしまう。放置すればドワチャッカやウェナに被害が出たこと疑いないから、ありがとうごくろうさまあとは任せておきなさいという言葉が頭に浮かぶ。女神様が負けたもうおしまいだ、などと思考を放棄するのは六聖陣にでも任せておけばよいだろう。
この場面で、ユシュカもアンルシアも魔王の誰もが、まだ方法はあるはずだと考えているのはさいわいだ。竜神も邪神も破壊神も、人が退けることができたのはかみごろしのなんとかのおかげじゃない。あきらめなければできると信じることができるものだけが、その先の未来を見ることができる。未来にあるのが勝利じゃなかったら、そのときは頭でもかいてごまかせばいいだろう。
強い相手と戦うすべを知っているのは弱いものの特権だ。
しょせんはカミサマなんて、自分より弱い相手としか戦えない雑魚専でしかないのだから。