不死とは祝福ではなく呪いである。たゆらなどかに問われるまでもなく、満足する死に対する答えは「知らねえよばか」でしかない。生の帰結にたまたま死が存在するだけで、問われるべきは生であって死ではない。イルーシャは世界を守るために、ナラジアはイルーシャをジャゴヌバの汚染から守るためにいけにえの不死を受け入れた。
それほど悪い状況ではない。めんどうそうな怪獣ふうの邪神を女神が倒して残りは二柱。戦禍の邪神ジュネイラはジョークのわかるヤツだから、たぶん相手にするのはもう一柱とジャゴヌバ当人だけでいい。あきらめムードがただよってるのはフィネトカの村人だけで、勇者も魔王もマメミムも悲観主義と友人になる理由はない。
あっさり「切りましょう」と言わない者が強い。
声をかけてきたのはエルドナ神で、せかいじゅの花を使えば女神を蘇らせることができるかもしれぬと説く。それは花のチカラで余命をひきのばされたヒメア様の命を奪うと同じ意味だけど、巫女をせかいじゅのいけにえに捧げた所業がもともとマメミムは気に入らぬ。恋人との逢瀬を300年も先送りにされた彼女はきのどくでしかなかった。
彼女を犠牲にする方法が正しいのかわからないとユシュカは言うが、いまが犠牲になったヒメア様の姿なのだといえば余計なお節介でしかないだろう。他人を犠牲にすることに疑問を覚えるユシュカこそまっとうで、村にシュキエルさんがいるのに「ユシュカさんを見てると魔族がわからなくなりましたよ」とか放言するシンイとかいう男もいるのだから。
ヒメア様は願いを残した。不死の術を施される者は自分で最後にしてくれと。そのためなら邪神ジャゴヌバなんて倒してしまえばいい。頼まれればマメミムは「はい」としか答えないから安心してくれていい。
せかいじゅの花を手に、光の河に待ち構えていた邪神のもう一柱をさっくり倒すと女神の魂を手に入れる。かつてイルーシャとしたように、魔瘴を浄化する中で行方知れずの魔仙卿ミムメモの足跡を見つけると、ザードの祭壇にいた彼女と再会する。魔瘴魂に襲われたミムメモを女神が助けてくれるけど、闇の根源と交わした呪縛はどうにもならぬと記憶の奥底へ。
時渡りも時見も予知もたいしたチカラじゃない。
ミムメモは信じることができなかった。世界に唯一絶対の時間は存在せず、それはルーラで飛べる座標でしかない。未来は過去の影響を受けるけどすでに自分が出会った過去も未来も変えることはできぬ。パパスの息子が未来の自分と会ったことがあれば、未来の自分は過去に行くことができる。
シンイという男が消し炭にしたテンスの花を錬成するために、不老不死の呪いを身に受けたミムメモが試みたのはあのときのエテ村に帰ることだった。「それは無理キュ」と言うキュルルの言葉に耳を貸さず、エテキューブで跳躍を繰り返すたびにミムメモが遭遇していない時間は削られていく。足元をぜんぶくずした彼女が立っていられる場所は魔界しかなくなっていた。
「この子はおそろしいものになりはてるだろう」
くだらない予知を吹聴したアバはなにもわかってはいなかった。これだけおそろしい目にあった彼女を姉と呼ぶことができるのかと問われても、それがどうしたとしか答えようがない。記憶をたどるまでもない。新エテ村の連中に話を聞けば、こいつだって困ってるひとがいたら助けずにいられないおひとよしだったことがわかる。大魔瘴期を早めたとか言われても、カミサマに起因するいざこざを、なんとかしてまわる者にカミサマが論評するとはナニサマだとしか言えぬ。
どんだけマが抜けてても、ミムメモは兄弟姉妹以外のなにものでもない。
ひとに論評できるほど立派でもないひとごろしに、マヌケな兄弟姉妹をどうこう言える義理もない。困ってるひとを助けない理由はない。ミムメモには魔界とアストルティアを助けてくれと頼まれた。ヒメア様には自分のようなものを最後にしてくれと頼まれた。「はい」と答えたマメミムがすることは闇の根源の呪縛を殴り倒すことだけだ。
暴力>呪縛
魔界の最高傑作どうぐ使いと、古代の叡智錬金術士の組み合わせは危なげもなく呪いを断ち切ることに成功する。ネルゲルもマデもマメミムも、こんなものに脅威を覚えたことはないだろう。自分が単なるチカラでしかないことを理解していないのはたぶんジャゴヌバだけだった。
まったく笑えるよと挑発するナラジア顔の邪神は怒り心頭で、どうしたおかしいなら大声で笑えと言ってやる。事情を察したユシュカが選ぶならオレを大魔王にしろとさらわれていくが、たぶんジャゴヌバは「契約を申し出られたら断ることができない」のだ。時間を稼いでくれた魔界のヒロインを置いて、まずは大魔王城まで引き上げる。
ユシュカが正装でなかったことに安堵したが、ミムメモは筆頭研究員服がよく似合う。