結果を見てくさすだけならだれでもできる。キレイゴトすらいえない連中の声を聞く前にできることがある。志なかばに倒れた邪悪なる意志が「ならばお前の選んだ道で救ってみせろ」と言っていたのを覚えてる。英雄はすべてを救う。魔界大戦でひとをころしてまわったマメミムに、そんなことをいう資格があるかどうかなんて考えてもしかたない。
たぶんまた助けられないんだろうなあ。
物語の先が見えるのがイヤでしかたないけれど、ひとよりも遅いマメの歩みでも止めることはない。異界滅神ジャゴヌバとかたいそうな名前を自称しているやつが、チカラにおぼれた闇堕ちクンでしかないことは理解した。赤毛で無精髭の囚われのヒロインが、こいつの正体を晒してくれた。
かつて女神ルティアナはあやまちを犯した。それは女王ゼルメアとおんなじで、未知なるものに平和的な話しあいをしようじゃないかと創世のチカラを使ったら、ソレがこちらを説得してくるなんて思いもしなかった。暴虐が戦禍が虚無が禁忌が嘲弄が渇欲が、怨嗟こそがすばらしいよみんなもぼくのように邪悪になろうとアストルティアに呼びかけた。
女神は世界を切り捨てて、のこされたひとたちには朝から晩まで耳元でピュージュがささやき続ける生活が待っていた。これが魔界のはじまりだ。賢者たちは魔祖になる。ひとびとは魔族になったけど、彼らがジャゴヌバを好きになる理由はないから歴代の大魔王たちを中心にして、うっとうしい魔瘴に抗う世界がかたちづくられた。
ジャゴヌバはけっこう不便な存在で、チカラは強くても自分の思想にふりまわされてることには気づかない。ナラジア顔の邪神の言動はピュージュそのままで、大物ぶってあらわれては「あれえおっかしいなあ」と首を傾げるあわれなピエロでしかない。思考を止めることがしぬこととおなじというならば、そもそもこいつはなにかを考えたことがない。こんなものに負けるわけがない。
資格のある者から、オレを大魔王にしろと言われたらジャゴヌバは断れない。ネルゲルやマデサゴーラが約束を果たせと叫んだように、「おまえオレに邪悪になろうと言ったよな」と持ちかけられたら断ることができないのだ。ユシュカはそれを利用して、囚われのヒロインを追いかければジャゴヌバに辿りつけるという作戦を考えた。賢者と魔王と勇者姫が、マメミムと一緒に魔界の果てにある深淵を目指す。
協調とはなにか。それは光属性で闇属性を強化したらダメージ+100%みたいなチカラの論理じゃない。みんなの祈りを合わせたらミナデインでもっとすごいチカラが出るということでもない。それはなんでこんなメンドウなことをやらないといけないんだという、おつかいや前提クエストにさんざふりまわされたおひとよしが集めた「星のオーラ」のつながりだ。女神セレシアが守ろうとした星のつづきにアストルティアがあるならば、天使をやめたおひとよし天使のふるまいがそれを実現する。
問われればマメミムはこう答える。協調とはなにか。こいつのためなら構わねえよ、だ。
だから英雄はすべてを救う。たどりつけなかった結果に心がくじけそうになることだってあるかもしれぬ。キレイゴトを捨てることもできないし、ひとごろしに偉そうなことをいう資格があるかなんて考えてもしかたない。ラスカはもちろんザンクローネにも遠くおよばない永遠の三番手が、それでもすべてを救おうとすることはできるかもしれない。
魔瘴の海を渡った。魔祖を倒した。ジャゴヌバを倒した。そこに感謝はあったし感動もあったけど、やっぱりナラジアを助けることはできなかったなあという後悔と失望は消えることがない。イルーシャをジャゴヌバの汚染から守るために身代わりになって、賢者すら魔祖に変わる数千年の時間を過ごしながら、目が覚めたら何もかも忘れていたのにイルーシャに会いたいという思いだけは消えなかった。
こんないいやつが救われることもなく、誰もこいつのことを覚えているわけでもなく、でもナラジアが望んだことだけは果たされて、それでいいのかよと聞けばこいつは「うん」と言うだろう。だからなにをいっても無粋にしかならない。
それでいいのかよ?
魔界が救われて世界も救われて、これからたいへんなこともやるべきこともいくらでもあるけれど、未来が閉ざされることはなくみんなはもう一度スタートラインに立つことができた。物語は大団円に終わってけっこうなことだ。ユシュカがともだちをつくるまでの物語も果たされた。私の勇者さまとオレのともだちとあたしの妹が、世界と時間を超える協調のひとつになるかもしれぬ。それでいい。
でもイルーシャを助けたのはナラジア、お前だからなということは忘れない。
マメミムがころしてまわったティーガ師団長たちの墓は、探しても見つかりそうにない。