誰かのためなら、みんなのためならなんでもできる。そんなひとにあこがれる。
妹のためにケーキ職人の夢を捨てて、サーカス団を率いてオルフェアの町を任された。子供たちを守るためなら悪評をもかえりみず、悪魔を相手にひとりで立ちまわってみせる。行方知れずの甥っ子のために城まで乗り込んで、みんなを叱咤してメギストリスを守ってみせた。子供たちにも町のひとにも城のひとにも好かれていて、守るべきものには笑顔を見せて、追い払うべきものには威勢よくたんかを切ってみせる。
それがナブレット団長だ。
誰かを守るのがナイトだというなら、やっぱりこのひとがふさわしい。
我が身を捨てることが美しいんじゃない。誰かのためなら、我が身を捨てることなんて気にしていないというだけだ。才能なんかじゃないし、血筋だって関係ない。魔法と評されるくらいみごとだったケーキ職人の技は、彼ががんばって努力をして修行をして手に入れただけのものだった。それすらも彼は妹や子供たちのために惜しみなく手放すことができる。
この世界には、そんな立派でかっこいいひとたちがたまにいる。誰よりもつよいチャンピオンだったのに、つよさよりもたいせつなものがあると村の風習までも変えたクリフゲーン。子供にでも犬にでも、誰にでも全力でよろこんでもらおうとするズーボーはん。犠牲でも献身でもなく、真のパラディンに問われる博愛のこころにあこがれる。
誰かのために。
たったひとりの誰かのためにすべてを捧げたひともいる。
あるじに娘を傷つける咎を負わせないために我が身を投げたファラス、魔界の未来を託せる者を守るために身を捨てたナジーン、イルーシャを汚染させないためにジャゴヌバへのいけにえを志願したナラジア、行きずりのパートナーを最後まで守ろうとしたラウル、アンルシアを守ることにすべてを捧げたトーマ王子。あげればきりがない。
誰かのためのナイトなら、子供たちだけになったセレドの町で、リゼロッタのナイトであろうとしたフィーロは将来立派なナイトになれただろう。気弱に思われても揺るがないやさしさと、みんなを後ろから支えて芯を曲げないつよさがある。子供だからこその未熟さもあるけれど、完璧じゃないという理由でひとを非難できるほどマメミムは完璧な人間なんかじゃない。
フィーロの控え目さは、子供たちを導こうとするリゼロッタを支えるためだ。だからリゼロッタが足を踏み外しそうなときは、フィーロは彼女をきびしく諭すことができる。事件に責任を感じているリゼロッタを差し置いて、彼女の成長を奪うようなことを彼はしない。フィーロの忠義と友情に厚い姿は、もしもリゼロッタが勇者であれば盟友に選ばれるにも足りるものじゃないかと思う。
そしてマメミム的にはフィーロはドラクエ10屈指の美少年だから、美形に目がないミラカならずとも彼がちょっと憂いのある面持ちでくせっ毛がすこし風になびいていて教義と愛を語りでもしたらセレドにはマメミムの長蛇の列ができることはいうまでもない。もちろんそのときにはシャープな美青年に成長したセリクがグランゼドーラの音楽堂で開かれる演奏会に子供たちを招待するために偽セレドを訪れる依頼が発生してマメミムとしてはとりあえず天星郷とかジアナントカとかほっといてクエストを受注するだろう。
さて薄い本でも描くか(描きません)。