牙騒動、未だ前進せず。
照明が夜の王宮を照らす。額に汗を浮かべ、思案に暮れながらも焦りを見せまいとどっしりと玉座に腰掛けるグロスナー王。だが、その佇まいをあざ笑うように、吹き抜けた風が王の影をゆらゆらと揺さぶった。
この日も謁見の間は重い空気に包まれていた。
ガートラントの諜報網は完全に敵に掌握されているらしく、やることなすこと全てにおいて裏をかかれる始末。
恥ずかしながら私も前回の事件以来、これといった成果を上げていない。労力と時間だけが無為に費やされ、じりじりと敵の手中に落ちつつあることを実感する。焦燥の炎が緩やかにガートラントを炙っているかのようだった。
城下町も、心なしか活気を失ったように見える。情報は規制されているのだろうが、人の口に戸は立てられない。じんわりとした不安が国中を包んでいた。
グロスナー王がいささか乱暴ともいえる作戦を私に打ち明けたのは、そんなときだった。
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場内に内通者がいる。王が出した結論はそれだった。
敵にもれた情報の内容から察するに、容疑者は三人。参謀マグナス、近衛兵リッグ、そして兵士長スピンドル。
彼らに的を絞り、王自らをおとりとして裏切り者を見つけ出すというのである。
危ういことだ。
君主が家臣を信じられなければ、その国家に未来はない。自分の忠誠を疑う王に、誰が忠節を尽くすだろうか。
だからこのような裏切り者探しこそ、信の置ける家臣が影から行うべきであり、王自らが家臣を探ってはならないのだ。
が、そんな理屈を今更王に向かって唱えるつもりは毛頭ない。
一魔法戦士に過ぎない私にわかることが、王たる身にわからぬはずもない。全て理解した上での苦渋の選択なのだ。最も信頼できる三人の部下が容疑者とあっては、こんな方法でもとるしかないだろう。
そして王が"共犯者"として白羽の矢を立てたのが、ガートラントに属さぬ立場のこの私、というわけだ。
ヴェリナードとガートラントは友好国とはいえ、そこは国家間の壁があり、何もかも一枚岩というわけにはいかない。だから、私を信用してこのような作戦を任せること自体、大きな賭けと言ってよい。ガートラントの王は側近すら信頼できぬ器の小さい王であった、などと私が報告すれば、彼は大いに面目を失うことになる。
私はじっと王を見つめ返した。
王の肉体は頑健だが、寄る年波と重なる心労は確実にその肉を削ぎ落している。王たる重圧の中で戦い続けてきた男の体だ。
その王が私に賭けた。この者は裏切らぬと。
彼の信頼に背くことはできない。魔法戦士として。いや、一人の男として、だ。
……少々時代錯誤な言い回しになってしまった。オーガたちの気性が伝染ったのだろうか? そういうことにしておこう。
幸い、今回の任務は全てグロスナー王の命令の元で、という規定が交わされている。王に口止めされたことを報告しなかったからと言って、本国への裏切りには当たるまい。少なくとも、理屈の上では。
私はゆっくりと頷くと、三人の容疑者を頭の中で並べ始めた。いずれも王にとって股肱の臣と呼べるものたちである。
近衛兵リッグとは大した面識はないが、実直な人物に見えた。
参謀マグナスは常にグロスナー王のそばに使える側近中の側近。かなり頭のまわる男でいかにも謀略向きに見えるが、彼が王を裏切って何になるというのか? 動機の方が見当たらない。
そして兵士長スピンドル。
…………。
この男は除外していい。まずありえない。
いかにも厚顔無恥な性格だが、頭の方が謀略に向いていない。そういう意味では、最も信頼できる男だ。
私はそう思っていた。後になって思えばあまりに単純な考えだった。
謀略とは敵の虚をつくこと。
敵の狙いは、まさにそこにあったのである。