オーグリード大陸の南西部、ガートラント領から西に数刻の位置に、岩一色に染まっただだっ広い岩石地帯が広がっている。バドリー岩石地帯がそれである。広域にわたって整備された採掘施設は他に類を見ない規模のものだ。かつて鉱山として屈強なオーガ達で賑わったでろう光景が目に浮かんでくるようだ。
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だが現在、この周辺は城下町からさほどの距離でもないというのに人影もなく、まるで秘境めいた寂れた空気にさらされている。施設はなおも、その機能を失っていないが、彼らが力を発揮する機会は今となっては稀であろう。
何がこの地を秘境にしたのか。その答えは、私の隣を通り過ぎた巨大獣が明快に教えてくれる。トリカトラプス。ヘルジュラシック。熟練の冒険者でさえ手を焼く凶暴な魔物だ。彼らが自然発生したものか、何者かの意図により送り込まれたものか、今となっては調べようもないし、彼ら自身、わかっていないだろう。
ただ言えるのは、彼らの出現により鉱山が半ば閉鎖され、バドリー岩石地帯は一部の腕自慢以外は立ち入らぬ不毛の地となったことだけである。
そしてそんな不毛の地こそは、過酷な鍛錬に価値を見出すガズバランの剣にとって、絶好の聖地だった。その過酷さは聖地を訪れる"巡礼者"たちに容赦なく襲い掛かり、中心人物であったデルタニス王子その人すら牙にかけ、葬り去った。
これがバドリー岩石地帯にまつわる歴史である。
剣の聖地は牙の聖地でもある。姫の行方を裏から探っていた我々は、地道な捜査により徐々に候補地を絞り込み、最終的にスピンドル兵士長の助言により、その地を探り当てた。
牙からの最後通告が届いたのは、ちょうどその前後である。
捕えられた同志を開放せよ。さもなくば姫の命はない。
テロリストの常套句だ。少々失望を感じるほど捻りのない文句である。
こんな手を使ってきたということは、我々と同じく敵も焦っているに違いない。後手後手に回っている我々だが、これまで辛うじて致命傷は免れている。追われる身の彼らの方が、長期戦は不利なのだ。
かねてよりの調査が奏功し、素早く現地に赴く。まさか通告の翌日にアジトまで乗り込んでくるとは敵も思うまい。敵の布陣が整わない内が勝負である。
バドリアル石室。採掘施設の奥まりにあるその一室に、彼らはいた。
ザッケスとピュージュの二人。いや、人形と化したゼラリム姫を合わせて三人。こちらのもくろみ通り、敵の手勢はそろっていない。だが牙の首領は不敵な笑みを浮かべたままだ。こんな場合、悪党のとる手段は決まっている。
もしこの場に牙の同志が揃っていたとしても、その姿を見て刃を捨てただろう。
姫君に凶刃をつきつけ、撤退を迫る。伝統と誇りを謳う男が人質を取り、得意顔で敵を脅迫する。その傍らには、道化師の浮かべた魔性の笑み。声高な理想と眼鏡の奥に包み隠していたものが、ここにありありと浮かび上がってきた。
だが、全ては想定の範囲内だ。
思えば、今回の事件では散々奴らに裏をかかれてきた。一度ぐらいこちらの思惑通りになってくれてもいいだろう。そう、最後の最後で勝利すればよいのだ。
我々の背後で一人の男が行動を開始する。
彼は体つきに似合わぬ敏捷な動きで舞台に躍り出ると、太く短い腕から決定的な一撃を繰り出した。
閃光……! 全てが真っ白に塗りつぶされる。目くらまし。次の瞬間、スピンドルは姫の奪還完了を告げる。視界から白い霧が晴れると、そこには人形を抱えた肥満体が華のように輝いていた。
鮮やかに決まったこの作戦は、スピンドル自身が申し出たものだ。謹慎の身ながらいてもたってもいられず、我々に協力を申し出てきたのである。
ピュージュでさえ、この意外な援軍には意表を突かれたに違いない。
少々見栄えは悪いが腐ってもガートラントの華。確かに見せていただいた。
ならば今度はこちらの番だ。ヴェリナードのバラ、とくとご覧あれ。
我々は剣を掲げ、自らの身を魔人と化したザッケス……否、かつてのデルタニス王子の側近、前兵士長ゼクセンに躍りかかるのだった。