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光の刃が魔人の胸を貫く。それが最後の一撃となった。
地に付す魔人。勝敗は火を見るより明らかだ。だが道化師はまだ、乾いた笑みを浮かべている。
捨て台詞と嘲笑を残してピュージュは去った。彼にしてみれば、この騒動も余興の一つに過ぎないのだろう。何者の命に従っているのか知らないが、勝負はお預けらしい。
利用されていたことを悟り、絶望に打ちのめされるゼクセン。彼に語り掛けるのは、現兵士長であり、かつてゼクセンの部下でもあったスピンドルだった。
己の愚かさを悔いる言葉と、ガートラントへの警告を残して彼は消滅した。魔煙とともに遺体も残さず、魔物として逝ったのだ。
魔を払わんが為に力を求め、力を求めたが故に魔性に魅入られた哀れな男。目的と手段を取り違えた愚かな男。彼をそう評するのはたやすい。彼自身は、確かにそうだ。
だが、この事件の根は、より深い場所にあるように思えた。
自然の脅威に、戦の狂気に、そして魔物の恐怖に立ち向かうためにオーガたちは鍛錬を積む。修業の始まりには確かな目的があった。
だがそれが伝統となり、民族の風習となった時、鍛錬と苦行は目的を超えた文化としてオーガたちの風土に根付くものとなった。
民族が築き上げてきた価値観と、現代の政治、文化との軋轢。この事件にはそんな背景がある。
王は改革を急ぎすぎ、ゼクセンにとっては、時の流れが速すぎたのだ。
皮肉にもこの一件で何度も後れを取った反省から、ガートラント兵の間では鍛錬に時間を割くことが増えたのだという。
歪みねじれたとはいえ、ガートラントの未来を憂いたゼクセンの魂も少しは浮かばれることだろう。
だが、時間を巻き戻すことはできない。
文化も風習も、時の流れと共にうねり、曲り、徐々に移り変わっていく。既に築き上げられた過去の歴史の上に立つ現代文化の中で、古い価値観との折り合いをとっていかなければならないのだ。
老王の苦悩は、まだまだ続きそうである。
最後に、もう一つの物語の結末をここに記しておこう。
事件が解決し、再び賑わう城下町。雑踏の片隅で路地裏にふと目をやると、薄暗い壁際に見慣れたぬいぐるみが転がっていた。
私は先日、ピィピのお宿を訪ねた時のことを思い出した。
プクランド大陸、オルフェアの町から街道をゆくこと数刻、宿場町として栄えるピィピのお宿に、意気消沈した男の姿を見つけることができる。
チョコ神の生みの親、ピルクノがそれである。
話によると、ガートラントにおけるチョコ神人形の受注が急激に減っているらしい。真相は……知らせない方がよいだろう。次はケキ神のコピーでなく、本当のオリジナル商品で勝負に出てもらいたいものだ。
ガートラントに哀愁の風が吹く。捨てられたチョコ神人形は、誰の目にも止まらないまま、無表情に空を見ていた。