曇天に舞うのは、季節外れの雪ではない。夏も終わりだというのに、桜は静かに舞い落ちる。
カミハルムイは常春の都だ。いつ訪れても桜の花が旅人たちを出迎える。だが、この桜は自然に生まれたものではない。
ある研究者が品種改良を繰り返し、今の桜を作り出したという。その名をハネツキ博士。エルフの中でも異彩を放つ独特の雰囲気と確かな実績に、以前から注目していた人物だ。
彼女は今、騎乗の人である。
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薄桃色の花びらが、灰色の空に揺れている。
どんよりと立ち込めた重い空気が都を覆っている。
号令のもと、出立する兵士たちの重苦しい姿の中に、博士の細い身体は良く目立つ。
私の隣で心配そうにそれを見つめる少年の名はハッパ。
魔障の子、暗黒大樹の拾い子。
彼こそが、この事件の中心人物である。
私がカミハルムイを訪れたのは、世告げの姫たちの過去に関する調査のためだった。
カミハルムイのナギリ洞に幽閉されていた少女について、また、その経緯について調べていたのだが、その聞き込みは空振りに終わった。
そのさなか、ハネツキ博士と知り合ったのが運の尽き、なぜか彼女の研究に付き合わされる羽目になった。
彼女は桜の品種改良だけでなく魔障についてもスペシャリストであり、ドルワームのドゥラ院長とも親交があることは以前にも述べた。魔障について調べる中で暗黒大樹の番人に育てられたエルフの少年、ハッパとも出会った。
外界に触れたことのなかった少年ははじめ、あらゆるものを恐れ、拒絶するかのようであったが、紆余曲折を経て心を開き、今では博士のことを実の姉のように慕っている。
それだけに、ニコロイ王とハネツキ博士が魔障の源である暗黒大樹の討伐に出陣したことは、彼にとってショックだったようだ。
エルトナ大陸は今、二つの災厄に頭を悩ませている。一つはあの、災厄の王。カミハルムイからそう遠くない落陽の草原が襲撃の現場なのだから、他の大陸以上に危機感は強いはずだ。
もう一つは、暗黒大樹に根差す魔障の力の拡大。ハネツキ博士が追っていたのは、この現象だ。
暗黒大樹はニコロイ王にとっては、因縁浅からぬ代物。ついには大樹の破壊という結論に至り、兵士たちが出陣した。我ら魔法戦士団にも救援の要請が出され、現場に居合わせた私が後詰として出陣する手筈になっている。
「ボクも連れて行って」
ハッパが私にそう言ったのは、予想できないことではなかった。なんとか平和裏にことを解決したいのだろう。
本来であれば断るべきだ。危険なことであるし、大樹の破壊はカミハルムイの王が決断したことだ。それを覆すような要素を連れていく権限は私にはない。
だが、私が思い出したのはドルワームのドゥラ院長が行っていた研究のことだった。
彼は魔障の塊を元に良質な魔力の結晶、太陽の石を生成する研究を成功させていた。そこからドルワーム王立研究院が出した結論は、魔障石は完全に負の存在ではなく、正のエネルギーに反転しうる物質だということである。
だとすれば暗黒大樹も、あるいは……?
暗黒大樹とは、そして大樹の番人とは何か。
それを知るためには、ハッパの存在が必要不可欠に思えた。
私はハッパの申し出を断った。が、勝手に後ろからついてくる少年に私が気づくかどうかは別問題だ。
何しろ、最近の少年は身のこなしが軽く、隠れるのも上手いのだから。
私は少し歩調を緩め、周囲の魔物ににらみを利かせながら暗黒大樹のふもとへと向かった。
王たちが、既に戦いを始めているはずである。