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漂う瘴気の中に青い光が飛び交う。思わず口を覆いたくなるような重苦しい空気の中、ここは貴重な避難場所である。
暗黒大樹のふもと。魔障の霧に覆われた、枯れ果てた森。僅かに残った木々はウドラーとしてこの地を彷徨う。人呼んで呪われた大地とはよく言ったものだ。
今でこそ番兵が設けられ、足を踏み入れるものも滅多にいないが、管理の行き届かなかった時代には、不運にもここに迷い込む旅人もいたという。
そんな時には、青い蛍を追いかければ命が助かると伝えられていたそうである。淡い蒼光を放つ破魔のヒスイが、その正体だ。
イナミノ街道にも同じものがあったが、清浄な魔力を放つというこの美しい水晶は、時として観賞用に、あるいは装飾具として加工利用されている。カミハルムイのチャセン殿も、いたく気に入っていたようだ。
一説によれは光の石、プラチナ鉱石、そして青い宝石といった高価な鉱石にはこのヒスイの成分が入っているとのことで、実際、イナミノのヒスイの周辺から、それらの鉱石が採掘できる。だが、その本質が何なのかはよくわかっていないらしい。
とはいえ、少なくとも今、その謎と向き合っている暇はない。
我々はより大きく、しかも目の前に迫った危機と対峙しているのだから。
大樹の番人とニコロイ王の交渉は決裂したようだ。
ウロコの装備に身を包んだエルトナ兵が陣形を整え前に出るが、その装備ではいかにも分が悪い。
葉に覆われた暗闇の中から覗く番人の瞳は何を映しているのか。大樹の秘密を語ろうとしない番人の語る言葉は以下の通り。
「話しても無駄だ。お前たちは目に見えるものしか信じようとしない」
……そうかもしれないが、一度話してみてからでも遅くはないのではないか? 思い込みによる即断は、あらゆる物事を愚かしくする。
いきなり軍を率いて脅しをかけた王に対し、冷静になれというのも少々無理な話だろうが、双方、落ち着いてもらいたいものだ。
私の言葉もむなしく空に吸い込まれ、ハッパによる説得も通じない。
が、結局、偶然にも襲ってきた魔障まみれのさんしょううお、略してましょううおを我々が撃退したことで番人は態度を軟化させてくれた。なんでも、彼らを撃退した我々は「勇気ある者」だから、だそうだが……。番人たちの価値観はまことに理解に苦しむものである。
ヴェリナードが番人たちと交渉をする機会は無いだろうが、本国への報告書には接触時のコミュニケーションには最新の注意が必要、と記しておくことにしよう。
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番人の語る暗黒大樹の真実。そしてハネツキ博士がそこから導いた暗黒大樹の正体。
彼女は全てを理解した。
世界樹。それが暗黒大樹の正体だと。
……やはり最初から話せばよかったのではないか。思わずつぶやきそうになったが、自重しておくことにした。結果論ならば誰でも言えるのだ。
魔障を吸い取り、浄化する力を持つ世界樹。だがその力は無限ではない。
子供の頃にルベカとやりあった謎かけを思い出す。
掃除すればするほど汚れるものは何か。答え、雑巾。
あんまりな例えかもしれないが、世界樹とは魔障をふき取る雑巾のようなもので、限界を迎え、真っ黒に染まってしまったのが今の暗黒大樹ということである。
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隣で聞いていたエルフのリルリラがハッと顔を上げる。
彼女が学問をおさめた地、ツスクルにも世界樹があった。そしてその番人はこういったという。
この世界樹は、三つめの世界樹であり、悪しき者たちは何度も世界樹を消そうとした、と。
そしてツスクルの世界樹もまた魔障に飲み込まれたそうだ。
暗黒大樹となった世界樹は一つ目か、それとも二つ目か。そういえばスイゼン湿原にも、淡い光を放つ不思議な木がある。
エルフと世界樹、そして魔障の関わりには注目しておいた方がよさそうだ。
ひとまず軍を退き、対策を考え直すことになったエルフの軍勢。ニコロイ王も、少々早まったという顔をしている。
以前にも王は単身で捨てられた城に赴いたりと、フットワークの軽すぎる一面を見せていた。見た目よりも武闘派なのかもしれない。
私見として報告書の脇にでも記しておこう。
ハッパは事態をおさめてくれたお礼に、と、小さな手のひらに二つの輝きを乗せて私の前に差し出した。
見れば、それは高価なウルベア金貨だった。
どこでこんなものを、と聞くとハネツキ博士からお駄賃にもらったという。
……あの博士、ドライに見えて案外、子供に甘いタイプらしい。結婚したら結構、子煩悩な母親になるのではないだろうか。
本人に言うと余計なお世話と返されそうなので、胸の内にしまっておくことにした。