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激戦を物陰からうかがっていたハッパは、少々気押された表情でおずおずと顔をだした。ハネツキ博士も一緒だ。
聖地に生い茂る樹々。暗黒大樹とは対照的な純白の白樺が、まばゆい光を放っている。博士によれば、世界樹を取り込んだ魔障を取り除くには、聖地の光の力が必要なのだという。
だが、そのためには暗黒大樹の、すなわち魔障の中心へと立ち入らねばならない。
聖地の力を蓄え、かつ魔障にまみれた暗黒大樹に触れる。それはエルフであり、魔障の子でもあるハッパだけにできる仕事だ。
ハッパがそれに志願した時には、さすがのハネツキ博士も動揺を隠せなかった。だがハッパの決意は固い。
自分はエルフの仲間なのか、暗黒大樹の番人の仲間なのか。己自身の在り方に迷っていた彼にとって、それは命を懸ける価値のある仕事だったらしい。
命を懸けるだけならば、実は容易い。だが、それが命を懸けるに値するものかどうか、迷い始めれば全てに臆病になる。彼はそれを見つけたのならば、幼くとも勇気ある少年になったのだ。
ならば止めることはできない。ヴェリナードの魔法戦士として、勇気ある男の挑戦を見届けよう。私はそう言った。
一瞬、恨めしそうな表情でハネツキ博士が私を睨んだ。そんなところが、嫌いになれない女性だと思う。
彼女もやがて諦めたらしく、少年の手をしっかりと握って頷いた。
儀式が終わると光の糸がハッパの体に絡みつき、その内側へと吸い込まれていった。これで、準備は整った。
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再び暗黒大樹のふもと。
闇にまみれた太い幹から、汚れの魔障があふれ出る。
ハッパがこれを沈めるまで、護衛を務めるのが私の役目だ。
魔障より飛び出した魔障竜が巨大な顎で襲い掛かる。が、アラグネとの戦いに比べれば容易いものだ。ほどなくして私の方のケリはついた。
あとはハッパの闘いを見届けるまで。
魔障の懐へと、少年は飛び込む。ハネツキ博士もじっとそれを見つめている。並の女性ならば、ハッパの名をわめき叫んでいるところだろう。だが、彼女は努めて冷静にハッパの闘いを見守っていた。
博士のことを姉と呼んだ少年。それを当然のように受け入れた彼女。二人の間に言葉は不要だった。
やがて苦悶のうめき声が聞こえてくる。ハネツキ博士の方がピクリと震えた。
が、次の瞬間、風が水面を撃つように少年の声から痛みが消え飛んだ。
温かい、と、少年は言った。
暗黒大樹の正体は世界樹。ならばその本質は癒しだ。
魔障を乗り越え、大樹のふところまで辿り着いた少年を、世界樹が優しく包み込んだのか。
そして少年もまた世界樹を癒す。小さな手のひらが真っ黒に染まった大樹を洗い清める。再び闇を受け入れるために、荒んだ枝葉を、濁った樹液を浄化していく。
人が生きる場所には必ず、生きるための痛みが、生活の垢が、汚れ、膿が現れる。それをふき取るために包帯代わりになって人々を癒すものがいる。
だが、やがて癒し手自身がその膿に冒され病んでいく時、誰かがそれを洗い流さねばならない。
ハッパはその役目を果たそうというのだ。
暗黒大樹の守り人。ハネツキ博士がそうつぶやいた。
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無事役目をはたして生還したハッパだが、カミハルムイには戻らず、暗黒大樹と聖地を往復して大樹を癒し続ける道を選んだ。
兵士たちに聞いたところによれば、別れを告げるハッパを、ハネツキ博士は無言で抱きしめたという。私がその場に居合わせなかったのが非常に残念だ。
ニコロイ王は大樹の番人と和解し、今後のことについても話し合ったらしい。
ハッパはたまにカミハルムイにもおとずれ、ハネツキ博士を喜ばせているという。
こうして一つの脅威が王都から去り、桜は青空に舞った。
だが、これで終わりではない。
もう一つの脅威は、いまだエルトナにとどまり、アストルティア全土を揺るがしている。
災厄の王との戦い。
ロディアからの報せが私の元に届いた。
決戦の日は、もう遠くないようだ。