ウェナの海に日が沈む。激しい戦いも、流れた血も、涙も、全ては潮騒の向こうへと消え、押しては寄せる波が、また新しい日常を運んでくる。戦いと動乱の時代の中で、ここだけは時が止まったように、何事もない日々が続いていた。
私にはそれが嬉しかった。
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お互いの健闘をたたえ合い、仲間たちはそれぞれの日常に散っていった。疲れた体と心を癒すもの、再び別の戦いに挑むもの。特別な約束は無かったが、またどこかで会えるだろう。賢者ホーローの言葉を借りるなら、運命の線路が交差する時に。
母国では魔法戦士団の面々、そして王室のお歴々が私の帰還を待っていた。
「これで君の任務も完了だね」
意味ありげな目配せと共にそう言ったのはメルー公だ。
私がかつて密偵としてヴェリナードから旅立った時、与えられた任務の中に、各国の人材を報告せよという条項があった。
私は恐れた。かのゴフェル計画にその報告が使用されるなら、重すぎる任務だと。
結局、真相が明かされることはなかったが、災厄が去った今、計画も空に消えた。重荷が一つ肩から降りた気分だ。メルー公はいつもの昼行燈然とした笑みを浮かべたまま、にこやかにうなずいていた。
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そして今、私は私は故郷の村レーンにいる。
かつて闇の溢る世界に挑むため、私はここから旅立った。同盟を組むという発想すら持たなかった頃のことだ。
あれから長い時が流れたようにも思えるし、全てはほんの一瞬の出来事だったようにも思える。
今、ここに帰ってきた。
一応は任務を果たしての凱旋、ということになる。
変わり映えのしない日々が、今日も続いている。
ルベカもまだ、お相手を見つけてはいないようだ。やれやれ、がっかりしたような、ホッとしたような……
古い友人たちとの笑い話に花を咲かせながら、ちらりと私は手元の石に目をやった。
故郷を忘れないようにとロディアから託された転移石。それが形見になってしまった。
姫たちは災厄と共に、伝説の中に沈んでいった。
コゼットは姉を探すだろう。テティも祈り続けるだろう。だが、いずれはそれぞれの道へと進んでいくはずだ。
ランディも、いつか新しい恋を見つけるだろう。
彼らの中で、姫たちはいつしか思い出になってしまう。
……王よ、貴方は身勝手だぞ!
石碑に刻まれた横顔を脳裏に浮かべ、私は胸の内で一人、吠えた。
何が姫だ! 何が伝説だ! 体の良い生贄ではないか! 命も記憶も捧げ尽くして、ロディア達が何を受け取ったというのか!
深いため息。全ては私の八つ当たりだ。姫たちが自ら望んで身を捧げたことを、私は知っている。他に選択肢はなかった。全て必然の流れの中。それを運命と呼べば、安っぽいドラマの出来上がりだ。
勝利とは裏腹に寂寥とした風が胸を吹き抜ける。これで、終わりなのか……?
「ねえミラージュ」
と、声をかけてきたのはルベカだった。
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「疲れてるんじゃない?」
軽くウインク。子供のころから推理力はイマイチだったが、勘だけは鋭い娘だった。
「たまには全部忘れていいと思うんだけどなぁ」
ルベカは私の隣に腰を下ろすと、紫色の美しい髪を風になびかせた。
大きな瞳が海を見つめる。夕暮れの海を映して、瞳が鮮やかに染まる。昔から、いつも違うものを探しているようで、いつも同じものを見つめているような瞳だ。
日常を繰り返すこの村で、彼女は何を見ているのだろう……
と、その瞳が急にこちらを向き、ところで……と、指をピンと立てた。
「ミラージュ、七不思議って知ってる?」
突然、話を振られて私は目を丸くした。
アストルティア七不思議。最近、巷を騒がせている怪奇現象の総称である。旅の中、小耳にはさんでいたものの任務に追われていた私には縁のない話だった。
「世界を股にかけた謎の現象! これは名探偵の腕の振るいどころ! ……なんだけどね」
悪戯っぽく舌を出す。
「今は休業中だし、世界中を飛び回るにはお父さんの許可もいるし……」
だんだんと話が読めてきた。要するに……
「と、いうわけで探偵助手ミラージュくん、私にかわって謎を暴いてきてくれたまえ!」
くれたまえ、ときたものだ。やれやれ、探偵モードに入った彼女には、誰も逆らえない。
「ま、期限があるわけでもないしさ。のんびり寄り道でもしながら、行ってきてよ」
ポン、と肩をたたく。
のんびり気ままな旅。懐かしい感覚だ。思えば災厄の王との決戦を意識し始めてから、ずっと気を張り続けていた気がする。
本国からはしばらく休めと言われていることだし、気分転換にはちょうどよさそうだ。
「手がかりが見つかったら村に報せてよね。私が推理してあげるから」
どうやらしばらくはヴェリナードでなく、彼女に報告書を送ることになりそうだ。
こうして、久しぶりに……
本当に久しぶりに、私の自由な旅が始まった。