対岸に古い洋館を望む湖のほとり。緩やかな風に湖面は静かに揺れ、雲はゆっくりと流れていく。都会の喧騒から離れ、体と心を休めるにはもってこいの眺めだ。かつては王侯貴族の避暑地としても使われたというこの地だが、アルウェ王妃の悲劇的な死により別荘が放棄されて以来、めっきり人通りが絶えてしまったそうだ。
そんな背景を持つプクランドの中央部、オルフェア地方とリンクル地方にまたがる大きな湖が今回の舞台である。
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湖に潜むという首長竜。地図から検討を付け、ここを訪ねてみたのだが、オルフェア側には人っ子一人見当たらない。さてはて、またも推理ミスか……? 少々気弱になりつつ、リンクル地方側に回ってみることにする。
王妃の別荘をぐるりと回って北東へ。ここで、シュプリンガーを狩りながら暇をつぶす冒険者の一団を発見。噂に聞く光景だ。ほっと胸をなでおろす。今回は正解らしい。
とはいえ、ここからが本番。
酒場で仲間を雇っていなかった私は狩りに参加する気にもなれず、湖のほとりに腰掛けて首長竜を待つことにした。
ところで、私は寡聞にして知らなかったが、避暑地としてのリンクル地方には、今でも貴族階級の中に熱烈な愛好家がいるらしい。
私の隣に腰を下ろした女性も、その一人のようだ。
ぱっちりと開いた瞳、品よく伸ばしたまつ毛に薄紅色の頬。豊満な身体と略式の冠帽子に育ちの良さがうかがえる。
お忍びで立ち寄ったとのことなので深くは聞かなかったが、とある国においてクイーンと呼ばれる身分の女性であるとのこと。休暇中とはいえ、私もヴェリナードの魔法戦士。礼をつくさねばなるまい。
しばらく和やかに談笑していたのだが……なんということだろう。数刻も経たないうちに雲行きが怪しくなってきた。
一向に現れようとしない首長竜に苛立っていたのだろうか。彼女はぷるぷると震え、飛び跳ね、しまいには興奮し、いきり立って私に飛びかかってきた。
性穏やかにして慈愛に満ち溢れた我らが女王陛下とは違い、こちらのクイーンは気が短いらしい。
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かくしてクイーンスライムとの一騎討ちが始まった。
今日の私は二本差し、すなわちバトルマスターとして活動をしていたから戦闘はお手の物だ。盾に持ち替え、魔を払う結界を張り、じっくりと態勢を整える。それでいて心は捨身の覚悟なのだから、我ながら器用なものだ。
スライムの女王が主力とするのは、あのキングスライムをも尻に敷くという巨体を生かした直接攻撃だった。ぷるぷるとバネのようによく弾む身体を生かし、勢いよく体当たりを仕掛けてくる。クイーンにしては、かなりの武闘派である。
ミラクルソードを連発してこの攻撃を凌ぎつつ、マヒャドやマジックバリアの隙に無双の連撃を仕掛ける。懐に忍ばせておいた特薬草も良い仕事をしてくれた。
かれこれ数分も戦っていただろうか。ようやくクイーンは気を落ち着けて帰ってくれた。スライムの国の女王は癇癪持ち、と、報告書に記しておこう。もちろん、ルベカ宛の、だ。
意外な対決だったが、良い運動になった。また、誰の手も借りず強敵と戦う楽しみは格別である。
ふと、私はある盟友の名を思いだした。
ドラゴンゾンビやキングリザードといった強敵中の強敵を単身で打ち倒した一流の女冒険者。彼女の見た景色は、より鮮烈だったに違いない。
今はカフェテラスのマスターをしているそうだが、一度店を訪ねてみようか……
そんな思いにふけっているうちに日も落ちて、景色はすっかり青に染まった。見れば、どこからともなく旅人たちが湖畔に集い始めた。どうやら、首長竜の活動時間は夜のようだ。
霧が出てくれれば、雨が降れば、曇り空なら……。囁く旅人たちの声は、私には重要な情報源だ。
もちろん、その気になって自分から冒険者の集まる酒場を巡ればいくらでも情報は入ってくるのだろうが、今回の旅はそこまで気を張らず、自然に入ってくる情報に任せるつもりである。ゴブル砂漠のような外れもあるだろうが、それも一興だ。
多くの旅人が見守る中、湖はわれ関せずとばかりにだんまりを決め込んでいた。どんなに目を凝らしても、湖面に映った自分の寝ぼけ顔が見えるだけだ。
首を長くして待つ冒険者たち。首長竜の首とどちらが長いか、是非確かめてみたいところである。
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白々と夜は明け始め、灰色の朝もやの中、キラキラ大風車塔のシルエットが遠くおぼろに浮かび上がった。
影絵のような景色に、冗談のように鮮やかな残月が突き刺さる。
それは白黒の絵本に突然ぶちまけられた絵具のように奇怪であったが、あるいは、灰色の皿に飾られたチェリーとでも言った方がプクランド風だろうか。
やがて赤い月も沈み、景色は色を取り戻す。メギス鶏の声が空しく朝を告げた。冒険者たちも、一人、また一人と散っていく。
やれやれ、七不思議と巡り合うには、相当の運が必要になりそうである。