湿った空気が波紋を起こすように震える。音叉が空気と触れ合うたびに、音とも風ともつかぬ微細な震えが遺跡内に響く。
知恵の眠る遺跡。儀式のため、王子だけでなく女王陛下もここを訪れると決まった際、メルー公は大いに渋い顔をされたものだ。
いつだったか、女王陛下が公とのなれそめを話してくれたことがある。陛下にとって公はただ一人、身分を忘れて付き合うことのできる男であり、公にとっては身分を忘れて守りたくなるような女性だったに違いない。
少々太り気味だが、今でも彼は女王を守る騎士なのだ
一方、陛下は王子が王になるためならばどこにでも行こうと、平然と仰せになられた。
子を思う母の気持ちと、妻を思う夫の気持ち。そのちょっとした錯誤に、皇室のお歴々が持つ普通の家庭のような家族関係を見て、畏れ多くも失笑を漏らしてしまった。
私は遺跡探索に当たり、女王陛下の護衛を仰せつけられた。栄誉なことである。
とはいえ、ここを闊歩する魔物たちはそれほど強くはない。さしたる危険もなく、最深部へとたどり着いた
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そびえる音叉を取り巻いて禍々しい赤い月と、神秘の青い球体が浮かぶ。周囲には静かなウェナの水が、荒ぶる光の河に照らされて輝く。
音叉の間のさらに奥、そこにラーディス王からのメッセージが眠っていた。
暴君との戦いの時代。王としての責務から娘であるセーリア様を犠牲にしてしまったことへの嘆き。もし、王ではなくただの父であれば……。その辛さは察するに余りある。
が、しかし、だ。
「ゆえに、私は妻に王位を譲った」
……何か、話がつながらないような……?
「ウェディの男は家族を守るものである。私は家族を守ることに専念する。以後、男が王となることは禁ずる」
…………。
ふざけるなラーディス。
それでは妻に重荷を押し付けただけではないか。
詩人であり王であったラーディスという人物の姿が、私の中で急速に色あせていくのを感じた。
私には、彼は王という重圧に耐えられず、ただ逃げ出しただけに思える。
……いや、逃げてもいい。
国を背負うという重荷を分かち合うのにあたり、彼と彼の妻とが、それをベストだと判断したならば、それもいいだろう。
だが、それを子孫にまで押し付けるのは、逃げ出した自分を正当化するためとしか思えない。
このような禁ならば遠慮は無用だ。むしろ守るべき女性に重荷を背負わせ続けた歴史に終止符を打つべきだ。
思わず拳を握りしめる。
……いや、私としたことが、どうも感情的になってしまったようだ。
既に女王制は歴史となり、文化となっている。ならばその発祥がどうあれ、今のウェディたちには関係のないことだ。
今の時代に男王が受け入れられるかどうか、それは全く別の問題なのだから、冷静にならなければいけない。
もっとも、そんな悩みは一介の魔法戦士である私が考えることでもないのだが。
「どうしても男王になりたいと願うならば、全てを守る力を示してみよ!」
古代の魔導兵器が襲い掛かってくる。
なるほど、国王自らが腕力で国民と家族を守れと言うわけか。非情に男らしい論法だが、巧みな言葉の使い手であるラーディス王も、匹夫の勇という言葉はご存じでなかったと見える。
こんなガラクタの相手は我々で十分だ。叩き潰してダストンの元に送り付けてやる! 私と仲間たちは王子を背後にかばい、それぞれに得物を構えた。
ガラクタ城の新たなモニュメントが完成するまで、そう時間はかからなかった。
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戦いの後、展開された物語については、ヴェリナードの秘事として伏せておこう。
ただ、これだけは、はっきり言っておく。予想外だった。
その人物が只者ではないことは分かっていたが、まさか、まさか……!
能ある鷹は爪を隠し、才ある魚は牙を隠す。私が知っているつもりだったもう一つの顔すら、あのお方にとっては仮面だったようだ。
その姿に、言葉に、自らの未熟を悟った王子は、真に王たる資質を身に着けるため、心身ともに修業に励むことになった。
それこそ匹夫の勇かもしれないが、師事する相手が相手だけに、学ぶところは多いはずだ。
私も事情を知るアーベルク団長に頼み込み、魔法戦士としてその技を学びたいと件の人物に伝えてもらったのだが……どうも、はぐらかされてしまったようだ。うぅむ……。
結局のところ、今はまだ、ヴェリナードに大きな変化はない。柔らかな水の内に、激しく流れ落ちる滝の下に、いずれ訪れる新しい波をゆっくりと育む。
その波が海を行く船を飲み込むことなく、正しく港へと導けるよう、私も魔法戦士団の一員として、できる限りのことをするとしよう。
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私にはさっそく次の任務が与えられた。
再び、旅に出ることになる。
新しい風の吹く場所、レンダーシアへ……