中空に闇が渦を巻く。それは圧倒的な力だった。
空気すら萎縮し、逃げ場を探すようなプレッシャーの中で、頭上に掲げた聖騎士の盾はいかにも頼りない。
天から降り注ぐものが戦士の肉体を地に打ち付ける。流星とも落雷ともつかぬ天空の弾丸が迫る中、私にできることといえば自らの身体に魔結界をまとわせ、他の者を巻き込まない位置へと逃げ回ることだけだった。
グランゼドーラから馬車で数日。決戦の地へと赴いた我々を待っていたのは、眠りから覚めた勇者と、その覚醒を導いた勇者の盟友たちだった。彼らがこの戦いの主力である。
我々ヴェリナードはセレドに駐留していた部隊と私の率いていた部隊から少数精鋭の支援部隊を結成し、勇者たちの援護を行う手筈となっている。
若干の緊張と興奮。
勇者を助ける戦い、絵物語でしか知らない世界をこれから体験することになるのだ。
「かつては私自身、それに憧れたものです」
勇者はそう言って苦笑した。
入念な打ち合わせののち、旅の扉へと突入する。景色が歪み、青白い光が閃光となって弾け、一瞬、意識が途切れる。
次の瞬間、私の眼前に見知らぬ大地が広がっていた。
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薄紫色の空模様を見るとレンダーシアの何処からしかったが、どの地図でも見覚えがない。
勇者の盟友の一人がハッと声を上げた。
怪訝に思った我々をよそに、また別の盟友が物見の呪文を唱えた。魔力により視界を天空へと飛ばし、周囲の地図を描き出すという高等呪文である。さすがは勇者の盟友。我々には計り知れぬ力を秘めているようだ。
彼らが協力して作り出した大陸地図は、奇妙なことにレンダーシアのどこにも当てはまることのない、全く新しいものだった。
あるいは、レンダーシアとも5大陸とも違う、まったくの新大陸へと飛ばされてしまったのだろうか……?
先ほどの盟友殿は思案顔で沈黙を貫いている。事情を問いただしてみたが、氏は寂しげな笑みと共に首を振るだけだった。
見知らぬ大地、奇妙な神父、そして妖しく渦を巻く空。
探索を続け、勇者の一行と我々はいくつもの強敵を突破した。
魔の眷属と化した彼らの姿は、伝説に語られる、とある秘術を連想させた。
進化の秘法。
そしてその言葉がさらに連想を導く。
あの災厄の王に近い存在が、この先に待ち受けているのだろうか?
洞窟に渦巻く毒々しい空気が時折、突風となって我々に吹き寄せる。そのたびに身震いと共に戦慄と緊張が我々の身体を突き抜けるのだった。
「この先のようです。皆さん、準備はよろしいですね」
と、落ち着き払った勇者の声が、魔界とも呼ぶべき空洞の中に響き渡った。
次の瞬間、不思議と私の覚悟も決まった。
私は勇者でも英雄でもない。背負い込む必要はどこにもないのだ。
ただ自分のできることをやるだけ。
「いざ……!」
剣を抜きはらい、我々は敵陣へと突入した。
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我々の前に待ち受けていたのは、創生の渦が生み出す瘴気に包まれ、胎児のようにうずくまった人間の姿だった。
その傍らにかしずく無頼の魔導士が声高に勝利を宣言し、やがて魔瘴の球体がひび割れていく。
ひな鳥が殻を破るように、人は新生する。
思わず、私はつぶやいていた。
似ている、と。
魔導士もまた、天空伝説の異伝にて語られる邪神官と同じ末路を辿った。それは先の想像を裏付けるものに見えた。
だが、今は見るからに不完全である。殻を破り現れた姿は私の知っている姿より一回り以上小柄で、甲冑のような甲殻も、猛々しい筋肉繊維も発達しきっていないように思える。
それは好機であり脅威でもある。完全な進化を遂げてしまえば、正しく手に負えなくなってしまうだろう。今の内に叩くより他に道は無い。
勇者の号令のもと、私はバイキルトの詠唱を開始する。
こうして、戦いは始まった。