流れ落ちる瀑布が舞い上げた水滴が、霧雨となって落ちてくる。静かに揺れる波と共に、夜の船着き場は幽玄な姿を我々の前に現した。
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儀式のため、年老いたマザーをウェナ諸島の奥地、ケラコーナ原生林まで連れ出すのは、手の焼ける仕事だった。護衛という仕事はいつだって、神経を使うものである。
もっとも、私にとって幸いなことに、マザー・ヘレナは彼女ぐらいの年齢の女性が良く披露する悪い癖……同じことを二度繰り返しながら喋るというあの悪癖の持ち主ではなかった。
品の良い、理知的な女性だった。
髪は総白髪、目も光を失っていたが、足腰は矍鑠としたものである。
道中、彼女はドゥラ院長の少年時代のことを語ってくれた。
かつては優しい少年だったこと。そして野心を抱いてからは、家族同然の幼馴染や恩師との縁も切ってしまったこと。
「生き甲斐を見つけてくれたのはいいけれ、何でも上手くいくとは限らないものね」
寂しげにマザーは言った。
「でも、あの子は根っこの部分は優しい子ですよ」
私はシスター・ニニカのことを思い出していた。ドゥラを裏切り者と呼んだ彼女の震えた声が、まだ耳に残っていた。
ただの恨み言ならば、メタルスライムが逃げ去るように一瞬で通り過ぎていっただろう。だが、その言葉には、ある種類の女性の声だけが持つ、独特の熱があった。
それは香水の残り香にも似て、かすかに、しかし確かに私の耳に付きまとっていた。
ウェディは愛と歌に生きる種族と言われている。公僕の私が詩人を気取ろうとわけではないのだが、彼女とドゥラの関係はなんとなく、わかるような気がした。
下世話と言われるだろうが、同じ孤児同士、多少の興味もわいた。果たしてこの事件は彼らの関係を修復するきっかけになるだろうか?
ふとルベカの顔を思い出したりもしたが……こちらはそれほどロマンチックな関係ではなかったな……。
思えば私もまた、身を立てるため、故郷のレーンを飛び出してきた孤児である。
修道院のニニカやチャガタイのように孤児院を手伝うという選択もあったし、事実、そうして今も孤児院を支えている友人たちがいる。だが私は魔法戦士に憧れて村を旅立った。
今では念願かなって魔法戦士となり……その業務内容は憧れていたほど優雅でも華々しくもなかったが……忙しい日々を過ごしている。故郷のことを思い出すこともめっきり少なくなった。
孤児院に残った仲間たちは、まさか私を裏切り者とは言うまいが、滅多に顔も出さない薄情者ぐらいには思っているかもしれない。多少の後ろめたさもある。
そのせいだろうか。マザーの手を引き、腰をかがめて道案内をする時、私は不意に親孝行でもしているかのような錯覚に陥ってしまった。
まったく、我ながらナンセンスだ。
首を振って切り替える。これは任務。私情は禁物。判断を鈍らせるだけである。
そんな私を見えない瞳で見守って、マザー・ヘレナはせせらぎが静かに流れるような笑みを浮かべるのだった。
魔導技術にも宗教にも門外漢の私だが、聖杭に力を与える聖女役に彼女を選んだドゥラの目は、確かだと思えた。
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そんなマザーが、天魔との戦いに自ら赴くと言い出した時、私は猛反対したものだ。
一度断り、二度目ははっきりと足手まといだとも言った。だが、聡明な聖女は突然、頑迷な老君主に変身してしまったかのようだった。
後ろから見守るだけなので危険は無い、杭に何かあれば、力を込め直せるのは自分だけ、云々……
しばらく問答が続いたが、こういう場合、問題はどちらの理屈に筋が通っているかではない。どちらが先に音を上げるかの勝負なのだ。
マザー・ヘレナと根競べをして勝てる者が何人いるだろうか。残念ながら私はその数少ない一人ではなかった。
あるいは、彼女にはこの時点で何かの予感があったのかもしれない。それとも、限られた聖者だけに聞こえる、神のお告げでもあったのか。
私もそれなりの抵抗はした。一度承諾して安心させておき、翌日、完成した聖杭を持ち、こっそりと出発する。聖人を欺いたものは地獄に落ちるというが、この際、神のご機嫌取りは後回しだ。
だが、乗合馬車がたまたま魔物に襲われて足止めを食らい、その間に次の馬車に乗った彼女が追い付いてきた。見えない目で無茶をしたものだ。忘れ物ですよ、と、にこりと笑う。気まずい対面になった。
魔物の出る街道に置き去りにするわけにもいかず、作戦開始までに戻る時間もなく……
まるで定められた運命のように、彼女はその地に赴き、私はそれを止めることができなかった。
これが神の意思というなら、あまりに合理的で、あまりに無慈悲なものである。
それが神と共に歩む道なのか。
マザー・ヘレナは何も語らず、最後まで慈愛の微笑みをその顔に浮かべたままだった。