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不気味に静まり返った森に、青白く浮き上がる洋館があった。
時刻は夕暮れ時のはずだが、木立と霧に阻まれて、空はほとんど見えなかった。童話の中の小さな英雄は夕陽の色を燃える情熱の色と例えたが、この館の主ならば血の色に例えるだろう。
形よく整えられた植え込みの木々は品の良さを感じさせるが、渇ききった中央噴水の周囲には枯れた木々が荒れ放題にいびつな枝を伸ばしており、そのアンバランスさが森の静寂と相まって怪しい空気を放っていた。
「幽霊屋敷、といった風情だな」
私は雇い主である冒険者の一行に肩をすくめて見せた。彼らの半分は不敵な笑みを返し、残りの半分は緊張した面持ちを崩さず館をじっと見つめていた。
風の音が、魔女の高笑いのように我々を取り囲むと、木陰から見えるわずかな空が、深い色に染まっていくのが分かった。
ギィ、と軋んだ音を立てて扉が開く。
燃えるような夕映えも青ざめて、魔女の時間がやってきた。
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ことの始まりは何だったか。事件の始まりは、私がこの村……いや、この大陸を訪れるずっと前だったに違いない。だが、私にとっては、ある奇妙な噂を耳にしたことが最初のきっかけだった。
あのウサギ騒動からしばらく経ち、行方不明だったアリスのアイリも冒険者たちの手により、無事に戻ってきた。
一件落着と思った矢先、その噂が私の耳に飛び込んできた。
まるで童話が現実に侵食してきたかのような、妙な噂だった。
普段ならば夢見がちな子供たちの空想と笑い飛ばしていただろう。だが、そうできなかったのは、どうやら私もまた童話の世界からやってきたらしい、ということが呑み込めてきたからである。
噂話を集めてみようと、人々の集まる酒場に顔を出したところに、一組の冒険者たちが声をかけてきた。
酒場には似つかわしくない、深刻な表情だった。
「あんた、ヴェリナードの魔法戦士なんだってな」
彼らの一人がぶっきらぼうな口調でそう言った。
「腕利きを探してるんだ。手を貸さないか。報酬は弾む」
私は彼らの顔を知っていた。私がメルサンディを訪れた日、ミニデーモンを追い回していた冒険者である。確か、ウサギの一件でも、ご活躍だったはずだ。
私はクイ、と帽子を上げると冒険者たちに向き直った。
「報酬はいらない。ウサギと英雄について、話を聞かせてくれ」
こうして、私は彼らに雇われることになった。
冒険者たちが私に明かしてくれた話は、いくつもの深い驚きをもたらした。
彼らが語った内容のうち、私が個人的に興味をひかれたのは、井戸についてのエピソードだ。
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かつて私が読んだ物語……天空物語の序章とも言われる幻の大地にまつわる伝説では、井戸が重要な役割を果たしていたのだが、彼らが語った話はそれとそっくりだった。
腕組みし、深い息を吐き出す。
物語上の幻の大地とは、人々の夢が具現化し、天空に浮かんだ世界だった。
そして、今、現実を侵食しようとしているおとぎ話の世界……。
紫色の霧に包まれた世界は、夢の世界なのだろうか?
だが、勇者覚醒の光を思えば、あの世界が我々の住む大地と繋がっていることも確かである。
「そういえば、選ばれた一部の英雄たちは二つの大地を自在に行き来できるのだとか……」
私が聞きかじった知識を披露すると、冒険者たちは少々曖昧な笑みを浮かべ、互いに顔を見合わせた。
よく見れば、彼らの首にかけられたペンダントには、どこか勇壮な雰囲気を醸し出す不思議な石が飾られていた。
ひょっとすると、彼らは私などよりずっと、レンダーシアの秘密に迫っている冒険者だったのかもしれない。
「とりあえずは目の前のことを頼むぜ、魔法戦士さん」
「心得た」
おとぎ話のバッドエンドを現実に持ち込ませるわけにはいかない。ヒーローには勝利してもらわなければ困るのだ。
そのための戦いに、彼らは赴こうとしていた。
私も栄えある英雄補佐に選ばれたわけだ。
うっそうと茂る森の奥、密かにたたずむ夜宴館は、獲物を待ち構える毒蜘蛛の顔で我々を迎え入れた。
さて……スキルマスターにより解放された新技術が初めて相対する敵との実戦でどの程度、役に立ってくれるものか。
試してみるとしよう。