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その女は挑発的な笑みを浮かべて我々を見下ろしていた。
魔女らしいとんがり帽子の下に長いブロンドの髪をなびかせ、身にまとうのは肌も露わな赤い衣装。ふわふわと浮かぶ紫色の水晶球に腰掛けたグラマラスな美女の姿は、魔術を使わずとも大抵の男を手玉にとれそうに見えた。
もっとも、彼女が行おうとしているおぞましい儀式を目の前にしては、そんな妖艶な色香も色あせ、百年の恋も冷めるだろう。
茹で上げた心臓をハートボイルドと称する独特のセンスには好感が持てなくもないが、少々悪趣味である。どうやらお付き合いはできそうにない。
「あらん、つれないのね、お魚のボウヤ」
魔女は悪戯っぽく笑う。
「ま、私も貴方は好みじゃないけど」
それは良かった。魔女に惚れられた男はロクな目には合わないというからな。
ちらりと小さな英雄に目をやる。
この英雄と魔女の関係がいかなるものか、童話に描かれた以上には知らないが……。
「もう少しお喋りを楽しみたいところだけど、そちらはお急ぎのようねえ?」
クスクスと口元に手を当てて魔女が笑う。
魔女と食卓を囲むことはできない、という言葉がある。何故なら彼女が笑う時、彼女以外の全ての者は怒りか悲しみに支配されているだろうから。
ゆえに、美女の浮かべた艶美な微笑は、戦いのゴングとなった。
英雄は魔女の元へ。我々は怪物と化した心臓の元へ。
武器を構え、私は最初の呪文を詠唱し始めた。
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魔物との戦いは一方的なものだった。
私を雇った冒険者たちの実力は、想像以上のものだったようだ。
怒り狂った魔物が私に狙いを定めたが、私は階段を駆け上り、魔物が追ってきたところで階下に飛び降りる。その隙に、背後から仲間たちが攻撃を仕掛ける。
立体的な戦場というのも、中々面白いものだ。
私は戦士に援護の呪文を飛ばし、さらに青白い光をその刃にまとわせた。敵の戦法から判断し、アイスフォースを試してみたのだが、これが正解だったようだ。茹でたての肉塊を凍気の刃が力強く引き裂いていく。
私自身も手が空き次第、超はやぶさ斬り、シャイニングボウといった技で攻撃に参加する。これまでの魔法戦士とは一味違う、と言わせてもらいたい。
……ま、戦局に影響があったかどうかは知らないが。
こうして比較的あっさりとこちらの決着はついた。そう、あくまでこちらの決着は。
魔女の方は、さすがに一筋縄ではいかなかったらしい。
「メ・ラ・ゾ・ォ・マ!」
彼女の指先から放たれた炎は、まさしく伝説のフィンガーフレアボムズ。並の使い手が使えば寿命を削ることになる、禁呪法に近い魔技だと言われているが、あの魔女は軽々とそれを操ってみせた。さすがに童話の悪役。何でもありか。
だが、彼女に相対するのも同じく童話の英雄。何でもありなら専売特許だ。
傍らに立つ少女の叫びと共に、彼は雄々しく立ち上がる。
「これはお前のための、希望の物語」
会ったこともないパンパニーニの顔を、彼の瞳に見た気がした。
こうして、大作家の作り上げた英雄譚は、舞台を変えて紡がれた。魔女と英雄は去り、少し大きくなった少女の姿が後に残った。
私の雇主たちも一安心といったところらしい。無論、私も同じである。
そういえば、あのナイト選挙でヒューザの奴を破って優勝したのは彼だったか。なるほど、納得の英雄ぶりである。
すっかり観客に徹してしまった我々は、どうやら永遠に二番手らしい。
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……それは良いのだが、困ったことに謎は一つも解けていない。
いや、それどころか深まるばかりだ。
二つの大地はどのように結びついているのか? 何故それが童話と同調しているのか?
童話の続きを書いてみたい、と言う少女の言葉にふと疑問が首をもたげる。
彼女の筆の通りに、物語が動くのか。それとも、物語に合わせて彼女の筆が動くのか……。
たまに彼女の様子を見に来た方が良いかもしれない、と思う。
そしてあの魔女。水晶球に乗り、優雅に空に浮かぶ彼女のシルエットがある旅芸人の姿と重なる。
果たして……。
ただ一つの収穫といえば、童話のヒロインは間違いなくミシュアという名の少女である、とわかったことぐらいだ。
戦いに疲れた勇者は、ほんのわずかな時間だけ、御伽の国で囚われのヒロインを演じることを許されたというわけだ。
何故、それが可能だったのか、それもまた謎ではあるのだが。
ちなみに、同じころ、その御伽の国でも、小さな事件が起きていたのだが……
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その話はいずれ記すべき時が来たなら、記すことにしよう
今は魔女と英雄についての本国への報告を、いかにまとめるかに頭を使いたい。
なにしろ、そのまま書いてしまうと、どう見ても童話そのものになってしまうのだから。
報告役も楽ではないのだ。