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燭台に火を灯すと、ボウ、という音と共に闇は一歩退き、しかし返ってその存在を増して私の背後に回り込んだようだった。
天然の洞窟を加工して作られたその密室には窓ひとつとて無く、光とは無縁の空間だった。
そんな密室に一人、私は腰をかがめ、並べられた儀礼的な骨董品や香炉に手を伸ばした。
風も吹かない密室に、香の匂いはまだはっきりと残っていた。
幽霊騒ぎからしばらく経ち、騒動は静まるどころか激しさを増していた。目撃者の数も増え、もはや噂は噂でなくなった。
不安を抱えた住民たちはこの集会所に集まり、霊媒師の言葉に耳を傾けたそうだ。一巡りほど前のことである。
胡散臭い話だ、と思っていた。
もう一つのセレドを知る旅人なら、誰もがそう思っただろう。
もっとも、ただのイカサマ師ならば、私もわざわざ騒ぎ立てるつもりは無かった。嘘も方便。住民の気持ちが落ち着くなら、それはそれで無意味とは言うまい。
だが……
「おや、いかがなさいましたか」
突然、背後から声がした。私は思わず腰のものに手をかけた。
「おやおやおや、物騒なことはやめてくださいよ」
振り返り、見上げると、炎に照らされた影の濃い顔が私を覗き込んでいた。
顔に張り付いた笑いが闇と灯に照らされ、赤黒く浮かび上がった。
彼の名はサダク。件の霊媒師その人だった。
「これは失礼した」
私は立ち上がり、しかし手は柄頭から離さなかった。
「ここで集会が行われたと聞いて、どんな場所か気になってな。なに、旅人の好奇心という奴だ」
「ああ」
彼は頷いた。
「冒険者という方々は、好奇心旺盛でいらっしゃいますからね」
気にも留めない様子だった。
「しかし、随分と暗い」
密室。蝋燭の炎が揺れるたびに闇は形を変え、眩暈を誘う。加えて炎の熱。私は既に目に違和感を感じ始めていた。
「そのほうが人の心は落ち着くのです」
疲れで感覚が鈍くなれば、確かに落ち着くかもしれんな、と胸の内で相槌を打つ。
「香も炊いたようだな?」
「高ぶった気持ちを静める効果があります」
適量であれば、だろう。私は冷ややかな視線を送った。一巡り前の残り香だけでもその程度の効果はありそうだ。
集会の当日、室内に充満した香は必要以上の役割を果たしたのではないか。
そして集会所に集ったのは、心に不安を抱いた住民たち。
この環境で彼はオカルトめいた説教をぶちまけたわけだ。
私は一つ、かまをかけてみることにした。
「友人から似たような密室の話を聞いたことがある。……いや、話すようなことではないか」
「おやおや、そう言われては、気になってしまいますよ」
眼鏡の奥が鋭く光ったのは、踊る炎が見せた錯覚だろうか?
その眼光に私が目を合わせる前に、眼鏡の曇りが彼の表情を消してしまった。
やや長い沈黙ののち、私は口を開いた。
「その冒険者仲間は、ある邪教の教団を追跡した経験があってな。邪教の教祖が似たような密室で儀式を行ったらしい」
男に背を向けて、私は香炉に向き直った。
「なるほど、集団催眠にはもってこいの舞台だ。そう思わんか」
どうだ、隙を見せてやったぞ。視線は前に向けたまま、背後に感覚を集中させる。
背中から感じる気配は、ひとかけらも綻ぶことなく、私を凝視したまま動かなかった。
やがて、深くくぐもった笑いが闇の中に響く。
「冒険者という人種は想像力が豊かでなければならないのですね」
「そうらしい」
「しかしよろずにおいて毒と薬は裏表、でしょう」
サダクは自ら私の隣に並ぶと香炉をコツン、と指でつついた。
「心を鎮めるための薬が使い方次第で毒になるのは、珍しいことではありませんよ」
私の顔を覗き込む。毒気の無い顔だった。
「なるほど。理に適っている」
まるで予め用意していた回答のようにな、とは私は続けなかった。
彼に向き直ると、丁重に一礼。
「失礼なことを言った。謝罪しよう」
「いえいえ、誤解が解けて何よりです」
目の前に首を投げ出されても、サダクが動く気配はなかった。
「では、これで失礼する」
「大変ですな、魔法戦士団というのは」
立ち去ろうとした私の背中に、サダクが言葉の矢を投げかけた。
この街についてから身分を明かしたことは無い。私もまた観察されていた、というわけか。
「次の集会には貴方も是非、お越しください。私の疑いを完全に晴らすためにもね」
背後で闇が手を広げたようだった。
何か仕掛けてくるつもりに違いないが……虎穴に入らずんば虎子を得ず。
「お言葉に甘えるとしよう」
集会所を抜けると、光の河が私を出迎えた。
神々しい光はダーマ神殿を頭上に仰ぐこの町で、蠢く者たちと惑う人々を等しく傍観しているようだった。