明るすぎる月明かりが海辺に打ち立てられた巨大な墓標を照らす。天が定められた軌道の通りに廻るならば、人もまた同じか。
歓喜、苦悩、勝利、挫折、栄光、そして破滅。かつてここには全てがあった。今、全ては流れて過去となり、打ち寄せる波だけが変わらぬ歌を歌う。
それを歴史と呼べば学問の徒が筆を執り、ロマンと呼べば冒険者たちが剣をとる。
失われた時を求めて……。
ここはリンジャハル。過ぎ去った時代に、忘却の風の彼方に人々が夢を見る場所だ。
私はここで一人の女学者を手伝っていた。彼女の名はヒストリカ。研究助手を学者仲間でなくフリーの冒険者に求めたことから、冒険者たちの間ではそれなりに名の知られている人物である。
ソーラリア遺跡から戻った私は、同じく古代遺跡を調査していた彼女の研究成果が気になり、このリンジャの塔を訪ねてきたのだが、そこでなし崩し的に彼女の助手を務めることになってしまった。
「頼られたら断れないキミの性格を頼って正解だったよ」
とは、後に彼女が語ったことだ。
釣り目がちの瞳が特徴の自称「美人学者」の彼女だが、少々エキセントリックな面が目立つ。学者らしく浮世離れした性格のようだが、時折見せる感傷的な台詞からは、どうも「浮世離れした美人学者」というキャラクターを無理に演じている気配を感じずにはいられない。
今日も今日とて、彼女は芝居がかった台詞と共に冒険者たちの帰還を迎える。
「マーベラス! そろそろ来てくれる頃だと思っていだよ! さあ、成果物を提出したまえ!」
冒険者たちの手には、淡い輝きを放つ石が握られている。勇者の盟友の証と言われるブレイブストーンだ。ヒストリカはこの不思議な石を持つ旅人たちの「異次元的な発想」に助けられ、急速にその研究を発展させつつあった。
実に結構なことではあるが、一日に何往復もすることになった冒険者たちは少々お疲れのようだ。単純作業ばかりで風情がない、とは彼らの一人が漏らした台詞である。妙に慌ただしかった助手募集の告知といい、手際が良いのか悪いのか。
だが当のヒストリカはそんな不満は意にも介さず、彼らの持ち帰った古文書の解読に勤しんでいた。
ブレイブストーンを持たない私の役目は、研究中の彼女の護衛と雑用、そして暇を持て余す彼女の話し相手である。
「くぅ…古文書まで友達友達って…」
ある時は古文書の語る物語に苛立つ彼女の愚痴を聞き流し…
「ひっく…頑張ったんだね…」
ある時は古代人の苦労談に涙する彼女の泣き声を聞き流し…
「そろそろ友達申請してもいいかな…まだダメかな…」
ある時は冒険者たちとの関係に悶々とする彼女の悩みを聞き流し…
冒険者諸氏に負けず劣らず、私にとっても大変な一日だったのだ。
「聞き流してるだけじゃないか」
肩をすくめたのは彼女の正式な助手であるクロニコ少年。
ヒストリカ女史と彼の関係を例えるならば、私とリルリラの関係だろうか。いわゆる友人とは少し違う、らしい。何やら彼女に親近感を抱かないでもない。
私が最初の友人を得たのは、旅の開始から一年が過ぎようとする頃だったか。
月を見上げて月を思う。照明いらずの明るい月だ。筆を走らせ、私は日々を書に記す。
古文書の中身は、興味深いものだった。ことに、エテーネ文明の名がここに登場したことは意外だった。
学者達によると、エテーネ島はこの内海の中央に浮かんでいるという。なるほど、ならば内海貿易の中心だったリンジャハルが彼らと触れ合うのは必然か。
果たして絡み合った糸は何を紡いだのか。今後の研究に期待することにしよう。
そしてもう一つ、謎がある。
月明かりに照らされたこのリンジャの塔と、霧に包まれたもう一つのリンジャの塔の関係だ。
道を開く鍵となるべきものはヒストリカが冒険者たちに提供した。すなわち、こちら側の塔のどこかに眠っていたことになる。
だが、鍵穴となるべきものはあちら側にだけ残っていた。
この奇妙な関係は、何を意味するのだろうか?
まるで、どちらの塔も片側だけでは不完全なパズルのピースではないか。
不意に、眩暈にも似た感覚に襲われ、私は額に手をあてた。
重なることで本来の姿を現す、不完全な何か。
真実と虚構。二つの大地が、共に不完全な断片に過ぎないとしたら……。
「どうしたんだ、ミラージュ」
ヒストリカが怪訝な瞳でこちらを窺っていた。首を振り、作業に戻る。
グランゼドーラでは賢者ルシェンダ殿が二つの大地の謎を調査中だそうだ。この仕事に一区切りがついたら、訪問してみることにしよう。
潮騒が聞こえる。歴史を見守り続けた海が風にそよぐ。
その海さえ、片割れに過ぎないのものかもしれないこの世界に、私は背びれが冷えていくのを感じるのだった。