書物のページをめくる音がひらりと舞えば、メモを書き取る音が小人の足音のようにそこかしこを行き来する。
時折、議論する男女の声が壁の向こうから響いてくる。
都会の雑踏から切り離され、しかし静寂ともほど遠い。学者たちの落とす雑音は少々神経質で、ピンと張った独特の空気を生み出していた。
ここはドルワーム王立研究院。学問に生きる者たちのメッカである。
石板に刻まれたフクロウが静かに語る。
「ただ知るは賢にあらず。世界のすべてをその目で見よ」
フクロウは、森の賢者と呼ばれている。
闇夜を見通すその瞳が、真実を射抜くのだろうか。
そんな森の賢者と睨みあいながら、ウムムと低く唸るのは小さな賢者。
ドワーフらしい小柄な体格ゆえ幼く見えるが、これでも研究院に籍を置く研究者の一人である。名を、アーニアという。
彼女が一応、今回の主役ということになる。
彼女の話をする前に、魔法戦士の私が何故ここにいるのかを説明しておこう。今回は、任務というわけではない。
ソーラリアやリンジャハルの遺跡探索、そしてルシェンダ殿の実験……。最近は古代遺跡めぐりや賢者たちの研究に付き合う機会が多かった。
私自身、賢者としての修練も多少は積んでいたのだが……。
正直なところ、それは杖術と弓術の習得を目的とした自己流の訓練であり、本格的な訓練は受けていなかった。
よって、専門的な話にはついていけなかったし、賢者としての腕前もあまり自慢できたものではない。
これも良い機会。せっかくなので正規の訓練も受けてみようと、アーベルク団長に掛け合い、ドルワームへの留学を許可してもらった。
私とドゥラ院長に面識があったことも良い方向に働いたのだろう。
もっとも、だからといって特別扱いはしない、と釘を刺されたが……。
そんなわけで私は今、ドルワーム賢者の学院に通う一研修生としての日々を過ごしている。
アーニアと出会ったのは、そんな学院生活の中でのことだった。
はっきり言えば、困った娘である。
研究院での成績が思わしくないのはまあ、仕方がないとしても、ことあるごとに私に頼ってくる。
「今度の課題のお手本を見せてほしいの」
「課題に必要な素材を一緒にとりにってくれない?」
……人に頼るな、などと偏屈なことを言うつもりは無いのだが、それで立派な賢者になれるのか?
「ミラージュ君、お願いがあるんだけど」
と、今日も彼女は駆け寄ってくる。
またか、と思いつつ話を聞いてみたが……。
……どうやら今回は、少々話が違うらしかった。
崖下から吹く突風が潮の匂いを巻き上げる。ガートラントは山国という印象が強いが、町からそう遠くない場所に海を見下ろす崖があるのは意外だった。
「子供のころ、シェリルと二人で来た場所なんだ」
と、アーニアは言う。
子供二人が何の因果でオーグリードくんだりまでやってきたのか、その経緯は非常に気になるが、まあいい。
私たち二人がここにやってきたのは、彼女の友人、シェリルを探すためだった。
彼女もまた、研究院に通いう賢者の一人である。
かつてはあのドゥラ院長と並び称されたほどの天才賢者だったはずなのだが、最近では院内でも名前を聞かない。
噂によればどこかの段階で挫折して、鳴かず飛ばずの状態だということだ。
近頃では研究院にも顔を出さなくなったらしく、酒場で飲んだくれていたのを見たという者もあり、アーニアも心配していた。
「何か一言、言ってあげないと……」
友達思いの彼女だが、私にも一言、言わせてもらおう。
「ここに来た目的は、その鉱石の方だろう?」
近くの地盤から採取した鉱石を抜け目なく袋に納める彼女の姿を、私は呆れ顔で眺めていた。
悪戯っぽく頭を掻いて彼女は肯定する。
学院での成績が悪い彼女は、次の課題の出来具合次第では退学という話になっていた。
親友の行方探しにかこつけて、課題に必要な素材の採取に私を突き合わせる根性は、なかなか真似できるものではない。
「シェリルを探してるのも本当だよ。ここに来てるかもしれないし、一石二鳥でしょ」
だが、一人では魔物が不安というわけで、私を護衛役にしたわけだ。
「まったく、呆れた奴だな」
……と、これは私の台詞ではない。
言葉を発したのは、アーニアと同じく小柄だが、真ん丸瞳のアーニアと対照的に鋭い目つきの女性である。
「シェリル!」
どうやら幼馴染同士の再会と相成ったようだ。
挫折したエリートと「落ちこぼれ」の対面。なかなかに面白い構図である。
さて、どう転がるのやら。
脇役は後ろで観戦させてもらうとしよう。