バザーに並んだ蛇皮のコートに視線をやる。
少々成金趣味を思わせるデザインだが、ヴァイパーの名は伊達ではなく、毒刃を潜ませるための隠しポケットが巧みに配置されており、毒使いにとっては有難い一品と言えるだろう。
問題は、魔法戦士には大した恩恵がない、ということである。
腕組して、溜息をつく。どうも、しばらく買い替えの必要はないらしい。
せめてドレスアップ用の装備は無いものかと新発売の装備を眺めてみたのだが、やはり私の好みに合うものは見つからず、引き続き貯蓄の日々となりそうだ。もっとも、金策もさぼりがちの私には、大した蓄えも無いのだが。
時代は明けて、地をゆく旅人たちは活気づく。
空にはちらほらと見慣れぬ影を見かけるようになった。
バザーを物色するのにも飽きた私は劇場の柱に背を持たせて、一息ついていた。
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グランゼドーラの雑踏は、様々な噂話を運んでくる。
当代随一の技師と賢者ルシェンダの話。
賢者たちと勇者の秘技。
そして勇者の元に集う盟友達の武勇伝。
未だ寝静まった劇場の扉とは裏腹に、舞台は整い、役者はそろいつつあるようだ。
さて、次の脚本はどうなっている?
私は脳裏に浮かぶシルエットに問いかけた。
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彼と初めて言葉を交わしたのは、職人の姿を求めて各地を巡っている最中のことだった。
ココラタ。
レンダーシアの西のはずれにあるこの小さな漁村では、多くの住民が素朴なテントの下で暮らしており、毎夜、潮風と波の音が耳の友である。故郷、レーンを思い出す。ウェディである私にはなじみやすい環境と言えた。
そんなココラタに一つだけ建てられたログハウスに、一人の楽器職人が住んでいる。
彼女に取材を行おうとかの地を訪れた私はしかし、期せずして、とある人物と対面することになった。
旅慣れた風貌、長い髪に特徴的なテンガロンハット。そしてそれ以上に印象に残る 茫洋とした光を湛えた瞳。
首筋の緑の鱗。
ログハウスから「クロ様!」と、声が聞こえた。扉越しに覗き込むと、熱にうなされたような表情の年若い娘の姿があった。
「では、頼みましたよ」
そういって男は扉を出たところだった。
対面。
じっと見つめる。
彼を見るのは初めてではない。グランドタイタス号にて、グランゼドーラの宴にて、何度か見かけた顔だ。
そしてこれまでに知り合った勇者の盟友たちの口からも、彼の名を聞いていた。
勇者と盟友、偽りと真実。全ての役者と舞台を整えるため、舞台裏から働きかけた男の名として。
名は確か……そう、黒渦とかいったか。
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「私に何か?」
黒渦の男はけだるげにそう言った。
私は一瞬、無言で道を譲りかけた。
潮騒が風にまぎれるように、自然で、色を持たない声だった。
目の前にいるのが、全ての真相を握っている男かもしれないということを忘れてしまうほど彼の所作はさりげなく、目を凝らせば凝らすほど、その存在は空に溶けていくかのようだった。
まるで幻影か。
私は頬に苦笑が浮かぶのを抑えつつ、男に話しかけた。
「私はヴェリナードの魔法戦士だ」
「ほう、それはそれは」
うつろにすら見える瞳で彼は私を見つめ返した。その目に、何の感情も籠っていない。
「女王陛下のため、勇者姫と盟友について調べている。君は彼女らと近しい関係にあると聞いたが……?」
「人違いでしょう」
取り合おうともせず、彼は私の横を通り過ぎていった。
追いすがる私に、唐突に黒渦の瞳が振り返る。
瞬間、自分の目の前に手をかざしたのは、直感としか言いようがない。
魔法戦士が使うフォースにも似た、独特の魔道の波長がその瞳から煌めいた。
もし直視していたならば、私の意識は何らかの魔術の影響を免れなかっただろう。
輝きが消える。と、同時に男は姿を消していた。
残されたのは、呆けたように太陽に手をかざす私と、潮騒の音。
そして頬を紅潮させた楽器職人の少女だけだった。
雑踏。劇場からグランゼドーラ城を見上げる。
主演女優はテラスから国民に手を振り、その士気を鼓舞していた。
「舞台は整い、役者は揃った。次の脚本はどうなっている?」
私はもう一度、黒渦のシルエットに問いかけた。
雑踏の中で誰かが呟いた。
「さて、私は脚本家ではありませんから」
振り返ろうとも思わなかった。
「……どうだか」
私は帽子を目深にかぶり、劇場を後にした。
新たな時代に、新たな物語が紡がれる。誰もが劇場に押し寄せ、その結末を知りたがる。
我々魔法戦士団は観客に徹するか、あるいは自ら舞台に上がるか。
どこからともなく笛の音が鳴り響く。
どこか懐かしいその音色は、新時代の幕開けを告げるメロディだった。