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天を、食い破ろうというのだろうか。
私の目の前で、一匹の竜が空を仰いで大顎を開いていた。
その牙がひとたび噛みあわされれば巨岩さえ容易く砕け、その喉がひとたび動けば、ウェディや人間など、簡単に飲み込んでしまうだろう。
だが、牙はもう、何も砕くことはできない。
彼の喉に注がれるのは、気紛れに降り注ぐ雨水と、渇いた空気。
骨の隙間を吹き抜ける風が笛の音のように鳴り響く。堂々たる姿を残したまま朽ちていく竜の残骸が今なお、在りし日の咆哮を轟かすかのようだった。
「こんな大きいのとは戦いたくないよね」
とは、お供のエルフ、リルリラの感想だ。
ここはグランゼドーラの南東、ドラクロン山地。またの名を飛竜の峰。
上空には常に強い風が吹き荒れ、雲は渦を巻く。翼持つ者たちの鳴き声が、渦の向こうから聞こえてくる。
「お前の親戚たちにも困ったものだな、ソラ」
頭をなでてやると、ドラゴンキッズのソーラドーラはこちらを見上げ、首をかしげた。
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ソーラドーラが巨大な飛竜に変身したあの日、賢者ルシェンダは語った。怒りを買う恐れがある、と……
「ドラクロンには飛竜の住み家。その頂上には竜の長が住んでいる。飛竜の背に乗る者は全て、その長の許しを得て空を舞うのだ」
だが私は知らぬこととはいえ、許可なくソラの背に乗ってしまった。
「竜の長は耳が早い。遅かれ早かれ、ことは知られるだろう」
賢者は腕組みしてそう言った。
竜とは誇り高い生き物だ。その長となればプライドの高さも一際だろう。
「機嫌を損ねればお主はもとより、既に許しを経た勇者の盟友たちにまで害が及ぶかもしれん。責任を取ってもらうぞ」
そういうわけで、我々は竜の長に許しを請うべく、この山を訪れたというわけだ。
一応、土産物としてヴェリナードの名産、女王様サブレを包んできたが、竜の口に合うかどうか。ソーラドーラは結構美味そうに食べるのだが。
「この大きさの口には、合わせようがないと思うよ?」
ぺしぺしと古竜の顎を叩くエルフ。長がせめてコミュニケーションのとれるサイズであることを祈ろう。
道中、顔を合わせるのはもちろん、死骸だけではない。
ドラクロンは竜の楽園。右も左も竜ばかり。
最も目を引くのが、鳥の巣のようなわらぶきと卵の組み合わせである。
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「竜の巣か」
「ソラちゃんもこの中に入ってたのかな?」
リルリラの細い指が卵の殻を撫でる。ソラはぼんやりとそれを眺めていた。隣では別のドラゴンキッズが我々の影に気づき、トコトコと身を隠した。
ソラと初めて出会ったのは、ドラクロンの西、レビュール街道のはずれにある草原でのことだった。
丘に囲まれ、街道から隔離されたその場所は、キングリザードにドラゴンキッズ、竜族だけが闊歩する奇妙な世界。
ドラクロンを知るまで、竜の楽園といえば、私にとってその場所だった。
「あるいは、お前はここで生まれて、あの丘に引っ越していったのかもしれんな」
またも仔竜は首をかしげた。
ドラクロンの巣で生まれた竜が、渡り鳥のようにあの丘とこの山を季節によって行き来する。そんな姿を想像してみる。
竜たちの営みが見えてくるようではないか。
とはいえ、私は生物学者の類ではないし、竜の生態は学者にとっても謎が多い。
真相は神のみぞ知る、か。
休憩を終え、我々は再び頂上を目指す。
風が強くなってきたようだった。