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群雲を背にした月が、妙にぼやけて見えた。
月光が尾を引くように抜け落ちて、青く淡い光と共に、月の抜け殻が月と並んで浮かぶように見える。
目の錯覚か、それとも、私の中に渦巻く不安と謎がそんな景色を見せたのか。
まさか本当に、月が二つに分かれたわけではないだろう?
「そう、だと思いたいが……」
ここはグランゼドーラ。勇者姫のお膝元。
だが、同じ名を持つ街がもう一つあることを、知る者は知っている。
ならば月だってもう一つか二つぐらい、あってもおかしくないではないか。
二つの世界。その謎を追う勇者の盟友たちは伝説の天馬を求めて各地を探索中とのことだが、未だ朗報は届いていない。
私もソラと共にその探索に加わる予定だが、現時点では手がかりすら掴んでいない。
そんな状態であれこれと想像してみたところで、始まらないのだが……
「ふぅむ」
手元の小箱を弄びながら私は首をひねった。この箱もまた謎の種である。
「何故だろうな?」
「何がニャ?」
ひょいと首を突っ込んできたのは猫魔道のニャルベルト。
「これだ」
「ニャ?」
私は肉球めがけて手元の小箱を放って渡す。
「うつしよの箱、というらしい」
「ニャー?」
「もとは夢見の箱と呼ばれていたそうだ。あの"迷宮"の中ではな」
王家の迷宮、あの不可思議な空間で手に入れたものの一部を私も分けてもらった。
ある理由で、まだ開けてはいないのだが……
「夢から現世へ。何故だろうな」
ぼやけた月の光のもと、この箱を眺めていると、今まで眠らせていた疑問が頭をもたげてくる。
つまり、偽りの……公にもこの言葉が出回り始めた今、既に伏せる意味は無いだろう……レンダーシアは、まるで夢の世界のようだ、ということだ。
童話の英雄が実在し、ピラミッドには黄金の秘宝が眠り、死んだはずの誰かが生きている……。偽りの世界は、大魔王が支配するという割には、妙に夢に溢れた世界だ。
そして、先の戦いにおいて、勇者とその盟友が戦ったという恐怖の化身。
大魔王が記憶の中から具現化したというその魔物の存在を知った時、疑惑は更に深まった。
恐怖の記憶。童話や金銀財宝に憧れる人々の思い。そして死んだ人々に生きていてほしいと祈る人々の願望。
大魔王の力とは、人々の心の中にあるものを具現化する力ではないのか? 偽りの世界は、そうして作られた世界ではないのか?
それは言わば、夢を司る神。
そして今、夢は逆流を始めた。夢から現世へ。この箱と同じように。
「何故だろうな」
何故、迷宮の箱が、大魔王の力と似ているのか。偶然か、あるいは……?
「でも、あっちの世界も夢ばっかじゃないニャ」
と、ニャルベルト。確かにそうだ。
が、アラハギーロは大魔王の軍勢により意図的な改変をされているフシがある。あの世界の生まれたままの世界ではないはずだ。
グランゼドーラも大いに魔軍の影響を受けており、ココラタともども、魔勇者が倒れて以来、自分たちの境遇を理解しているという、他にはない特徴がある。これも、何らかの改変を受けているのではないか。
グランゼドーラ城を見上げる。さらなる探索を進めた勇者と盟友たちは、既に私よりずっと多くの事実を掴んでいることだろう。彼らの視点からすれば、的外れな想像かもしれない。
……ま、それは私が彼らに追いついた時にわかればいいだけのことだ。今はゆっくりと力を蓄え、少しずつ謎に近づいていくことにしよう。
「でも、もっと身近な謎もあるニャ」
小箱を弄びながら猫は言う。何だそれは? 猫の口元がニヤリと笑った。
「それは……この中に何が入ってるかという謎ニャ!」
猫の爪がかちりと音を立てて留め金を上げる。
おい、よせニャルベルト! 開けるんじゃあない!
猫の動きは俊敏だ。私の静止は一歩も二歩も遅かった。
「ニャ?」
蓋が開くや否や、中からはもくもくと煙が溢れ出し、軽い爆発音と共に箱が消え失せる。
「ニャんだ!?」
天を仰ぐ。後に残ったのは人のよさそうな一つ目巨人が描かれた、一枚のカードだった。裏をめくると、汚い文字でこう書いてあった。
「じゃンくや ろンダレキや エいギょちュ
720じかン いナいに キたくダサい」
……バズズの奴、横着して本人に書かせたな……? ため息とともにカードを手にする。
多くの冒険者を悩ませる時間制限。これだから、手元のカードを始末するまで、箱は開けないことにしていたのだが。
「まあ、パパッとやっつけるニャ!」
猫は気楽に尻尾を振る。この気楽さを見習うべきか。
鞄の中のカード束に、アトラスのカードを加える。やるべきことは山積みだ。
旅の終わりは、まだまだ見えない。