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深緑の梢が風に揺れ、雫が一粒、零れ落ちる。雨上がりの森に濡れ土の匂いが充満し、獣たちがご馳走を求めてさまよい始める。森を覆う木々の枝は緑のカーテンとなって陽光を遮り、樹海には緑色の霧がかかったように見えた。
この森をある者は聖域と呼び、ある者は魔境と呼ぶ。エルフの大陸、エルトナの北部に広がるモリナラ大森林は、未だ人の手の及ばぬ秘境の一つだ。
そのモリナラの保護と管理をカミハルムイ王家より委託されているのが、エルトナレンジャー協会。森林警備員の側面を持つレンジャーたちの総本山である。
このところずっと、私は彼らと行動を共にしている。いや、それを強いられている、と言った方が正しいか。
地を見下ろせば、赤ナスのメランザーナが器用に蔦を伸ばして濡れた落ち葉を掘り返していた。養分となるものを探しているのだろうか。その頭上に蝶の羽を羽ばたかせて舞い降りたのは竜と蝶のあいの子と呼ばれるマジックフライだ。長いくちばしでナスの実をちょいとついばんで、さっと逃げ帰る。
怒り狂ったメランザーナは、半ば掘り返した地面を放り出して、短い脚で追いかけ始める。そこへ、とことこと歩いてきたのがスカルガルー。メランザーナが撒き散らした落ち葉の中から食べられる木の実を頂戴してそそくさと立ち去った。
マジックフライを取り逃がして帰ってきた赤ナスは、自分の餌場が荒らされているのを見てがっくりと肩を……いやヘタを落としたが、仕方なく地面から直接養分を得ることにしたようで、自分の掘った穴にそっくり身をうずめた。ナスの実が自ら土に埋まる姿は非常にシュールで滑稽である。通りかかった小鬼のバアラックがこくりと首をかしげた。
以上、モリナラの日常の一部を切り取ってお送りした。
協会の面々に言わせれば、森は一つの生命体なのだという。木々が落した恵みが魔物たちの営みを支え、彼らの営みが廻り廻って森を豊かにする。
「風の音に耳を澄ませば、木々の囁きが聞こえてくるの」
乙女チックな表現でそう語ったのは、若手レンジャーのユウギリ嬢だ。
聞いた当時は半信半疑だった私にも、今ならば素直にその言葉を受け入れられる。
そう、耳を澄ませば確かに聞こえてくる。
……もっとも、私の耳に届いたのは、あまり穏やかな囁きではなかったが。
「てめぇらが勝手なことするから、こんなことになっちまったんだぜ」
風のせいだろうか、ひょろ長い柳の木が大きくしなり、青々と茂った葉をいからせた。
声の主は、レーノスという。ジュレット出身のレンジャーで、私と同じウェディの青年である。いや、だった、と言うべきか。
「うるせえ、お前らが邪魔しなけりゃ、あんな大ごとにはならなかったんだ!」
続いて、ざわざわと囁き返すのは、ふんぞり返るような太い幹を誇るブナの木だ。
「なんだと?」
風が薙ぎ、柳とブナがにらみ合う。
「お願い、こんな風になってまで喧嘩はやめて!」
隣では、桜の梢が薄紅色の花びらをさめざめと舞い散らす。最近、あれは泣いているんだな、とわかるようになった。
件のユウギリ嬢だ。桃色の髪の毛にシャプカがよく似合う少女だったが、花びらの色にその名残がある。
「ま、じっくりと時間をかけて話し合うことだな」
白樺の斑の枝を広げ、私も仲裁に入った。
「幸か不幸か、時間だけはたっぷりとある」
「誰かが斧でもかついで来たら、それまでだけどな」
唾を吐く代わりに、柳のレーナスが葉を一枚、器用に落とす。
「ああ、そういえば、それがお仕事の連中がいたっけ、なあ!」
その言葉に、ブナの木の男たちは再び激昂した。
「お前らレンジャーだって斧ばっか使ってるじゃねえか!」
「そうだ! 弓はどうした!」
「うるせえ! 俺らの勝手だろうが!」
やれやれ、騒々しい森だ。これでは不気味すぎて木こり達も近づくまい。
溜息をつくのも難しい身体になってしまったが、それは吹き抜ける風が代わりにやってくれる。白樺の幹と化した身体に森の空気を浴びながら、私はこれまでの出来事を振り返った。
レンジャーと伐採同盟、そして森の怒り。
全ては自然と人との関わり合いの中で起きた事件だった。