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ある山村の近くに、「聖域」と呼ばれる場所があった。緑豊かな自然の恵みの宝庫だったが、そこで木を切ったものには必ず災いが降りかかると伝えられていた。聖域の木々は神木と呼ばれ、村人から崇められつつも恐れられていた。
だがある時、神木が非常に高価な木材になることに気づいた若者たちがこれを切り倒そうとする。年寄りたちは反対したが、若者たちは言い伝えを無知蒙昧な迷信と一笑に付し、ついにこれを切り倒す。
木材により村の経済は潤い、村人たちは裕福になった。
だが明くる年、近くを流れる川が氾濫して洪水が起こり、村は一夜にして滅んだという。
「神の祟りか? いや、違う」
聖域の木々は雨水を吸収し、川へ流れ落ちるのを防ぐ役割を果たしていたのだ。
恐らく過去にも似たようなことが何度かあったのだろう。当時の人々は木が洪水を防ぐ原理まではわからずとも、木を切ることで洪水が起きるという法則だけは理解していた。
それを神木、聖域という言い伝えとして残し、伐採を禁じたのはまさしく無知ゆえの知恵である。
人はなまじ知識を身に着け、迷信を信じなくなったばかりに、迷信の裏に潜んだ知恵をも失ってしまったのだ。
「ただの自然現象を神だの妖怪だのって畏れるのは馬鹿らしいって、笑う奴もいるけどよ」
……実は畏れるくらいが一番賢いのではないか?
空は青く、水、清く、妖怪は怖くなくちゃ。レンジャーの誰かがそう歌った。人と自然のあるべき距離を歌い上げた、古い歌だ。
「俺らに言わせりゃ、伐採同盟なんてのは森の素人だよ。森が怖くないなんて、な!」
レーノスはそう締めくくった。
「私たちレンジャーが最初に教えられるのは、森は怖い場所だっていうことです。……最近は妙に実力派の新人が多くて教えづらいんですけど」
……ま、その辺は時代の流れだろう。他の職を経験してから入門するからな……。
「だから、森に働きかけるときは慎重にならなきゃいけないんです。正しい知識とやり方を身に着けて……。でないと、思わぬしっぺ返しを食らうって……」
正面きって反論できるものは、この場に一人もいない。まさに、そのしっぺ返しを食らっている最中なのだから。
「……けど、俺らが多少、木を切りすぎたって、別に大したことねえだろ。お前らが見逃してくれりゃ、それで済んだのによ」
「それは犯罪者の理屈そのものだろう」
私は酸素を吐き出した。環境に優しい溜息だ。
「このままだと俺らは森の怖さを伝える教材として後世に名を残すことになるだろうな」
自嘲的にレーノスは言った。森を守ろうとしたレンジャー側の者まで一緒くたに木にされてしまうあたりがいかにも寓話的だ。怒りを買ったが最後、もはや理屈は通じない。故に人は畏れるしかないのである。
「じゃあレンジャーってのは、森が怖くて恐れてる連中のことなのかよ」
「もちろん、怖いだけじゃありません。賢く利用すれば色んな恵みを与えてくれる……木材だってそうでしょう?」
協会は何も伐採を禁じているわけではない。だからこそ、木こりのギルドとも協力関係にあるのだ。
「皆さんとだって、仲良くやれると思うんです。ほんの少し、やり方を変えてくれれば……」
レーノスはあえて口を挟まない。若いユウギリ嬢はこういう台詞を違和感なく口に出せる貴重な人材である。
「協会の許可をきちんと取ってくれれば、支援だって受けられたかもしれませんよ」
私も同感だった。
要するに、ことの本質は自然に対するイデオロギー云々ではなく、正しい手順や法を守るかどうか。ただ、それだけのことである。
レーノスが彼らを無法者と称したのは、そうした意味で正解だった。
「けど、許可が降りるとは限らねえし、上納金を払えと言われても払える状況じゃなかった。俺たちはこっそりやるしかなかったんだよ」
「こっそり、か。その割には堂々と宣戦布告してくれたじゃねえか」
再び、レーノス。
「俺らが生きていくためにやることをなんでコソコソやる必要があるんだよ!」
男たちがまたいきり立つ。いささか矛盾しているが、言いたいことは分かった。
要するに協会に対する不信が第一にあったわけだ。
確かにレンジャー協会がどんな組織で何を要求するのか、一般には知られていない。そして一般層の抱くイメージは、常に組織の活動に影響を及ぼす。我々魔法戦士団も気を使っている問題である。
レンジャー協会も、もう少し宣伝に力を入れた方が良さそうだ。
「協会は無茶な要求はしません。特に皆さんの場合、村に不幸があったっという事情があるわけですし」
ギルドの方も似たようなことを言っていた。と、私も付け加えた。
あちこちへ転がったこの話も、どうやら落としどころへと辿り着きつつあるらしい。