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真っ白な頭に、波の音が響く。
押し寄せて、また引いていく。潮騒。
青い海に白い飛沫。輝く太陽。揺れるヤシの葉。
色のついたものを見るのは、随分と久しぶりに思えた。こうしてみると、随分と豊かな世界に暮らしていたものだ。
「何が久しぶりなの?」
懐かしい声が聞こえた。美しい、軽やかな声だった。
「こうやってお前と話すのも久しぶりだと言ったんだ、ルベカ」
「そうだっけ?」
ルベカは私の隣に座って微笑んだ。形良い耳ヒレが潮風に揺れる。薄紫の髪がふわりと浮かんだ。
潮香るレーンの村。その浜辺に腰掛けて、私は海を見ていた。寄せては返す波。今日も明日も。太陽は昇って沈み、また昇る。
懐かしい故郷の村で、幼馴染の少女と共に海を眺めていると、心にこびりついた何かが洗い流されていくように思えた。
暖かな陽光と潮騒が眠りを誘う。くすっと笑うルベカの顔。まどろみ。少年時代の、いつまでも続く夏の日の一場面を演じているようだ。
戻ってきたのだな、故郷に。本来の自分がいる場所に……
「さて」
と、ルベカが立ち上がった。
何故だ? 訝しげに見上げると、悪戯めいた笑みを少女は浮かべた。
「ヒューザたちが剣の稽古してるんだって。ちょっとからかいに行ってくる」
ルベカが背を向けて走っていく。滑らかな背びれが左右に揺れて、遠ざかっていく。どんどん遠ざかり、消えてしまいそうになる。
遠くに、剣を振るう青年の姿があった。稽古相手のもう一人の姿は……ぞくりと、背筋を襲うものがある。胸の鼓動が早くなり、汗が噴き出す。
「待て!」
叫ぶ。自分が思うより、ずっと大きな声だった。そこから先は、喉がからからに乾いて、言葉が続かなかった。
ルベカは……。幼馴染の少女は、思ったより近くにいた。いや、すぐ隣にいた。
「そっか」
そう言って再び腰を下ろした。
ヒューザたちは何事もなく稽古を続けている。そう、何事もなく。
……それでいい。
ルベカは折り曲げた膝に自分の顎を当てながら横を向いて私の顔を見つめた。
「じゃあ、ずっとここにいようかな……」
再び、胸が高鳴った。
じっと見つめるルベカの瞳。何かを、忘れている気がする。
潮騒が遠くへ逃げていった。風も止まった。
そうだ。さっき、私は何を恐れた?
遠くに目をやる。ヒューザが剣を振るう。一人だ。稽古相手の姿はない。
忘れていた……いや、忘れていないから、恐れたのではないか。あの事故を……。
……忘れるはずもない。
瞳を深く閉じ、もう一度開くと、ルベカの姿がおぼろげに揺れるのが分かった。
深呼吸して、隣にいる誰かを、私は一瞥した。
「未来の旦那探しは上手くいってるのか?」
「ああ……あれね」
隣の少女が目をそらす。
「やめちゃった。しばらくは、今のままでいいかな、って」
ますますルベカの姿が薄くなる。私は自分自身の心が冷めていくのが分かった。
「見え透いた嘘は、やめた方がいい」
突き放すように冷徹に言い放つ。
「なんだか冷たいなあ」
スネたように彼女は言った。私は目を合わせない。
「じゃあ、行っちゃうよ、私」
また立ち上がる。再び、ヒューザが誰かと稽古をしているのが見えた。ルベカは小走りで彼らの元に急ぐ。あの日の再現だ。
「行くな、と言いたいのは事実さ。だが、行くんだろう」
呟くように私は言った。ルベカに……誰かに、いや、自分に言い聞かせるように。
今がある以上、過去は変わらない。過去があって、故郷を旅立ち、今、私はここにいる。そう、ここに。
ここは悠久の回廊、望郷の間。
最初から分かっていた。ルベカも、この砂浜も、全ては作り物だと。
「私もそろそろ、行く時間のようだ」
ヴェリナードの魔法戦士として、勇者と共に戦い、マデサゴーラを討つ。
レーンの村の少年だった私は、もう思い出の中にしかいないのだ。
ヒューザも流浪の旅の空。ルベカも、結婚に向けて精力的に活動しているはずだ。
ルベカがくるりと振り返る。にこりと笑って手を振った。
私も笑みを返す。
立ち上がると、そこは再び星の流れる暗闇の中だった。