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◆ ◆
引き続き、悠久の回廊を歩む。待ち構えていたのは、またも試練。次なる四角錐には桃源の間、とあった。
扉に触れる。揺れる世界。またも空白。瞳を開く。
目に映るのは、再び故郷のウェナを思わせる入道雲に青い空だった。爽やかな潮風、波の音。
まさか、また故郷の幻なのか……?
そう思って周囲を見渡すが、そこにあったのは懐かしい景色ではない。
かわりに、水着姿の女たち。
一様に熱を帯びた大小の瞳たちが、私に視線を送ってきた。
「あなたを癒してあげたいの……」
「ねえ、お兄ちゃんって呼んでもいい?」
「今の私は賢者などではない、ただの女なのだ……」
「あなたといると、なんだか私……」
桃源というか、桃色というか、まあ、要するにそういうことだ。苦笑を漏らす。
またわかりやすい試練が出てきたな。古来より、英雄は色を好むというが……
だがしかし、この人選には問題がある。
熱っぽく上目づかいに私を見上げる二つの視線から目をそらし、私は大きなため息をついた。辺りを見渡す。
恋愛対象とするには明らかに年齢が下にずれ過ぎた少女が二人。
誰とは言わないが、逆方向にずれ過ぎたお方が一名。
視線を泳がすと、ビーチサイドで青いボブカットがふわりと揺れるのが見えた。
ホイミスライム、一匹。
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……私にどうしろというのだ? 頭を抱える。
長椅子に品よく腰掛けたオーガの淑女が、慎ましい微笑みをこちらに向けた。初代クイーンことマイユ殿は、年齢的には確かに問題ないが、彼女にはフィアンセがいる。火遊びは御免だ。
と、なれば、残るは……
「な、何見てんのよ! 言っとくけどアンタなんか、私の方から断りなんだからね!」
黒髪に吊り上がった眉、よく目立つ赤い縁のメガネ。そしてなぜかエプロン姿。
アンバランスな姿もビーチに咲かせた花一輪、なのか?
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「で、でも、どうしてもっていうなら、ちょっとぐらい付き合ってやったっていいわよ」
顔を赤らめる。確か杖様の娘だ。ルナナとかいったか。
私とはほとんど接点のない女性なのだが……早くももじもじと体をくねらせてい。いくらなんでも、展開が急すぎやしないか? シナリオを描いたであろう創生の女神に、私は心の中でダメ出しをした。
「アンタのために料理だって習ったんだから」
何故そうなる。肩からどんどん力が抜けていく。
「本物のルナナなら、絶対に言いそうにない台詞だな」
呆れた口調で、私は言い捨てた。
と、ルナナの姿をしたそれの顔から、突然、表情が消えさった。潮風が吹き抜ける。雲が揺れるように、ルナナの瞳が無機質に揺れる。
「……偽物だったら、何の問題があるの?」
口も動かさずに、ルナナが言う。背びれが揺れたのは、風のせいではない。
「アンタに都合のいい嘘が、いつまでも続くのよ。ここにいればね」
指先が、私の顎に触れた。
「"本当"にこだわる意味なんて、あるのかしら?」
細く挑発的な笑みを浮かべる。太陽に照らされて眼鏡がきらりと光った。
なるほど、そういうことか。自嘲的に、私は笑った。
「……まあ、ないんだろうな」
嘘は、幸せの歯車を回す潤滑油だ。幸せの海に自ら溺れていくものを、引き止められるものがいるだろうか。
だが、それでも、罠と知りつつ堕ちるには、私の心は頑なすぎる。
顔に浮かべた曖昧な笑みを、潮騒が海の彼方へ引きずっていった。
「まあいいわ。行くなら行けば? でも一口ぐらい、食べていきなさいよ」
彼女はスープを突き出した。
「あ、アンタのために作ったんだから……」
目をそらしながら突き出す椀に、反射的に手を伸ばしそうになる。危ない危ない……
今、ひとさじのスープを口元に運べば、やがて彼女の唇さえ口元に引き寄せたいと思うようになるだろう。
人は己の思う通りに行動するのではない。己が行動した通りに思うようになるのだ。
「本当に意志が強ければ、耐えられるでしょ?」
「そうだろうが……」
苦笑して私は首を振った。
「とどのつまり、私は臆病なのだよ」
正面から見つめる美女の瞳が、横顔に代わり、後姿は振り向かない。青い景色を灰色に塗りつぶして背を向ける。ひょっとすると、私はとてつもなく愚かなことをしているのではないか……?
まあ、いい。今に始まったことでもない。せめて見栄ぐらいは張らせてもらおう。
ひとかけらも心を動かされていない風を装って、私は出口へと向かった。足元に感じる柔らかい砂浜の感触が、徐々にあやふやなものになっていく。水の中を漕ぐような、空に踏み出すような、浮遊感があった。