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「どうしても行ってしまうの?」
と、最後に私を呼び止めたのは、勇者姫だった。いや、その幻か。
「はい」
「そんな、ひどい……」
ぴくり。私のヒレが大きく揺れた。
勇者姫を振り返る。美しい姫は胸元で祈るように手を組みながら、私をじっと見つめていた。
「そんなこと言わずに、ここで暮らしましょう」
「いいえ」
「そんな、ひどい……。そんなこと言わずに、ここで暮らしましょう」
「いいえ」
「そんな、ひどい……」
……うむ。伝統と格式にのっとった、実に律儀な幻である。こういうところは高く評価できるぞ。
「そんなところを評価されても困るのですが」
勇者姫アンルシア……の姿を借りた何かが、白けた口調で肩を落とした。気のせいか、随分と疲れた顔だった。試練を与える側もこれで結構な労力を使うのだろうか。
まったく、ご苦労なことである。
「よく誘惑に耐えました、先に進みなさい。貴方の求めるものは、もうすぐそこです」
"試練"は厳かにそう宣言した。
マデサゴーラも、この試練を乗り越えて霊核へと向かったのだろうか?
カジノでのご満悦からすると、ここでも相当の時間を消費していそうだが……。
「かの者もここを通り、先に進みました。ですが……」
"試練"は、アンルシアの目元に憂いの表情を浮かべて首を振った。
「彼はこう言ってこの世界を出ていきました。この程度では足りん、と」
寒々とした風が吹き抜けた。
「あの欲望は強すぎます。どうか、お気を付けて」
"試練"の声が私を見送った。
私はふと、その声を、以前、どこかで聞いているような気がした。
一体どこで……?
脳裏に閃いたのは、あの決まり文句だった。
「これなるは、試練の門……」
もしや……?
振り返っても、そこはもう闇の彼方。勇者姫も白い砂浜も消え、あるのはただ星の輝きだけだった。