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「ねえ、ミラージュ、こっち」
悠久の回廊を進む私に声をかけるものがあった。聞き慣れた声だ。
「リルリラ?」
相棒として何度も冒険を共にしてきたエルフの僧侶だ。冒険者たちの中に紛れ込んでいたのか。
「さっさと来るニャ」
猫魔道のニャルベルトまでいる。まったく、観光旅行でもあるまいし。深くため息。だが彼らはお構いなしだ。
「ミラージュが喜びそうなものがあったよ」
浮島の一つに私を案内する。流星の中に浮かんだその館の中には、古びた本棚が列をなして並んでいた。
本棚の間を歩くと、緊張が和らぐ。通い慣れた書店の棚に、お気に入りの作家の名を探す時のような和んだ空気が漂い始めた。
だが、納められた本の背表紙には、想像を絶する言葉が並んでいた。
"レンダーシアの創生"と書かれたものが全百二十巻。それぞれにワルド編、ロヴォス編などと細かな副題がついている。
そして"人間の創生"、"魔物の創生"、"王国の誕生"……。
中には、伝説に語られる神々の名が刻まれた本もあった。
グランゼニスの薫陶。女神セレシアの祈り。ルティアナの詔。精霊ルビス語録。マスタードラゴン詩集。最後のは特に興味深い。
コメット・ライブラリー。星のまたたきが世界の全てを記録し続けているとしたら、それを集めたものがここなのか。
考古学者や神学者たちが必死で追い続けている謎の答えが、まさに一点に集結した知識の宝庫がこの図書館だった。
一冊を手に取る。世界創生の真実が、ここに記されているはずだ……。未知への好奇心が私の胸を高鳴らせた。
震える指でページに触れ、ごくりとつばを飲み込み……
「……ええい!!」
投げ捨てる!
歯を食いしばり、腰の剣を抜くと本棚に向けて叩きつけた。
手ごたえもなく音もなく、本棚はばっさりと両断された。霞のように揺れてかき消える。と、同時に図書館も消えた。周囲はただ、夜の闇と星の光。
幻だ。またも試練だ。しかも今までで一番、意地が悪い。
肩で息をしながら剣を納める。
「あーあ、惜しかったニャー」
ニャルベルトがニヤニヤと笑う。その姿も半ば透けて消えかけていた。
「せっかくミラージュの弱点、見つけたのに」
くすっと口元に手をあてたリルリラも同じだ。全ては幻か。
「それにしても、女の子の誘惑には耐えたのに、本の誘惑に負けそうになるなんて」
目を閉じて首を振る。
「ミラージュって寂しい人生歩んでるよね……」
しみじみ言うんじゃあない!
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一喝すると一人と一匹の姿も掻き消えた。あとには静寂が残るのみ。
ううむ、1ページぐらいは読んでから斬った方が良かったか……いやいや落ち着け。ただの幻だ。
そもそも、答えをいきなり知ってしまっては面白くない。不完全なピースから様々なことを想像しながら読み解いていくのが醍醐味だ。
若干の未練に後ろ髪をひかれながらも、私は回廊を前に進んだ。
ところで、他の冒険者たちはどうしているだろうか。勇者姫やその盟友は、まさかこの程度の試練に惑わされはしないだろうが……。