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大地を駆け抜ける風に、黄金の穂波がうねる。吟遊詩人が歌うサーガの序文を丸写ししたような光景が私の前に広がっていた。
紫色の霧の元、美しい麦畑が風に揺れる。この大地をレンダーシアを呼び、新しい景色を求めて各地を巡ったのが、もう一年以上前の話である。
輝く麦の穂を一つまみ、手にする。隣をゴールドオーク、ドラゴンキッズといった金色の魔物達が闊歩する。黄金の麦に、黄金の魔物。誰かが意図をもって揃えた「かのような」この景色を、当時は純粋に美しいと思えたのだが……。
私は立ち上がり、村の方角に目を向けた。
景色を眺めるためにわざわざやってきたわけではない。大魔王なき今、偽りのレンダーシアを再度探索し、その変化を報告せよ。それが魔法戦士として、ヴェリナードから与えられた私の任務である。
まずは、アイリの新作がどの程度、この村に影響を及ぼしているか、だが……
村に一歩入った途端、その影響力のすさまじさを思い知ることになった。
熱に浮かされたような目つきで、ぶつぶつと呟く村人たち、村を覆う異様な空気。私は彼女の新作を読まずじまいでこちらに来てしまったが、どうやらかなりハードな展開になっているらしい。
と、いうことは、つまり……。
大魔王の魔力とは関係なしに、「あちら」と「こちら」は強力に結びつき合っている、ということになる。
ううむ、と首をひねる。
あくまでこのメルサンディは「あちら」側を元にして作っただけのもので、一度創造が終わってしまえば、後は枝分かれして、別々の道を歩むものだと思っていたのだが……
これからも二つの世界は一蓮托生。あくまで偽りの世界は影に過ぎないのだろうか……?
「ううむ」
と、いつの間にか私と同じく腕を組む影が、隣にあった。他の村人たちとは、少し違った面持ちである。
「やあ」
ニヤリを笑みを浮かべ、彼は私を見上げた。
そして彼は私に、多くの知識を与えてくれるのだが……
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それにしても、迂闊だった。
もっと早くに気づいても良かったのだ。
思えば、奇妙な青年だとは思っていた。事件が起きた時も歌い続けていた姿を覚えている。奇妙だとは思ったが、それ以上、追求することは無かった。
勘のいい冒険者なら、どこかで察していたのだろう。全く持って、不覚の一言だ。
まあ、それはともかくとして……
吟遊詩人のパニーニ……と、呼んでおこう……は、ここで何が起きているのかを私に告げ、さらに打開策として小さなメモ帳を私に差し出した。
「どうか、これをアイリに渡してくれんかな」
と。
一瞬の沈黙。私はやんわりと押し返し、首を振った。氏は意外そうな顔つきだった。
私だって、何も意地悪をしたいわけではないのだが……。果たして、本当にそれが彼女のためになるのか。自分の力で乗り越えてこそ、一人前の作家ではないのか?
「ふうむ、なるほどな」
彼はうむうむ、と頷いた。その温和な笑顔に、私は顔から火が出るような気持ちになった。
思えば、彼こそは一流の大作家なのだ。今更、私にような素人に作家の心構えなど説かれるまでもない。あえてエルトナ風に言うなら、シャカに説法という奴だ。
気まずい沈黙の中、パニーニは一言も言い返さず、ただにこやかに頷くのみだった。
そして
「おお~悲しい~♪ 断られて私は悲しい吟遊詩人~♪」
歌いだした。何を考えているのやら、どうも居心地が悪い。
とはいえ、私自身、納得のできない依頼は受けたくない。この件は保留とさせてもらうとしよう。
引き止めるような吟遊詩人の歌を背に、私は魔法の絨毯を取り出し、村を出た。
一つ、気がかりなことといえば……
彼はこの状況を「作家の職業病」によるものと推測していたようだが、アイリは病弱な少女でもある。
もし、職業病ではない方の病気の影響だとしたら。暗い想像が脳裏をよぎる。
もしそうだとすれば、この村は永久にこのままかもしれない。魔女も英雄もフィナーレ辿り着くことはなく、永遠の間奏曲を奏で続けるのだ。
そして、アイリ自身も……。
……いや、やめよう。私は首を振った。悪い方に想像しても得るものは無い。
偽りのレンダーシアを巡り、もう一度ここに戻ってきた時、全てがハッピーエンドを迎えていることを祈るとしよう。