薬品のにおいが漂う密室に閃光が走り、断末魔の叫びが響き渡った。私は剣を鞘を納め、注意深く事の成り行きを見守った。
地に伏せた魔人がぴくりと指を動かす。どう声をかけるべきか。一瞬、迷う。テグラム、か。それとも……。
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私がその報告を聞いたのは、我々がリゲル大臣の元で雑務をこなしている最中だった。必死の形相で玉座の間に駆け込んできた兵士がテグラムの乱心を告げ、苦しそうに胸を抑えて倒れた。現場に急行する間、私は他の兵士に事情を徴収し、辛うじて事態を把握することができた。
テグラムは、結局、魔勇者の代わりにはなれなかったらしい。魔勇者に代わる新たなアイドルとして英雄然とした人格を演じつつも、日増しに募る人々の期待に彼の精神は蝕まれていったようである。
そして彼自身もまた、住民達と同じように逃げ道を求めた。自分の崇めるべき英雄、すなわち魔勇者を。
彼はキルギルが残した装置を利用して、魔勇者を復活させようともくろんだのだ。魔学者の研究室へ走りつつ、私は背ビレから走る悪寒に思わず身震いした。
崇めるべきアイドルを、自ら作り出す。支配者のために人が動くのではない。人が安心して生きるために自ら支配者を作り、利用するのだ。
「人とはこうも業の深い生き物かな!」
扉を蹴破り、私は研究室に突入した。
「非常に勉強になります、ミラージュ」
その後を静かに、キラーマシンの四本脚が追うのだった。
魔勇者の魂をその身に宿したテグラムは、私がかつて見た魔勇者と同じ、異形の姿と化していた。蘇らせた魂にその意思をも飲み込まれ、魔勇者そのものになりきったテグラムの姿がそこにあった。
「今度こそ、私は勇者になる!」
彼は……あるいは、彼女はそう宣言して襲い掛かってきた。
もしその力があの頃のままであれば、私ではとても歯が立たなかっただろう。
だが、やはり復活は不完全だった。身にまとった闇の衣が、薄絹をはぐように一瞬にして消えていく。ここに現れたのはかつて魔勇者が見せた力の、ほんのひとかけらに過ぎなかった。私とジスカルドは散開し、慎重にその攻撃に対処した。やがて報せを受けて駆けつけてきた他の冒険者たちが戦いに加わり、一気に攻勢に出る。
拍子抜けするほど呆気なく、決着はついた。
魔勇者は自嘲的に笑った。
「しょせん、勇者でない私が勇者になろうとしたことが、過ちだったのか」
と……。
私はある男の顔を思い浮かべた。勇者ならざる身で勇者を演じ続けた男の顔だ。もし、彼らがどこかで出会っていたなら、何かが変わっただろうか。妹と同じ顔を持つ少女に、彼はどんな言葉をかけただろうか……
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ともあれ、事態は収まり、テグラムは正気に戻った。
彼の供述によれば、全ては魔勇者に操られてやったことだそうだ。指導者になろうとしたことも、魔勇者を復活させようとしたことも。ただの責任逃れなのか真実なのか、私に確かめる術はなかった。
テグラムは、指導者を崇めるのではなく、自らの意思で生きることを促す演説を残し、グランゼドーラを去っていった。
町の住民たちはその言葉に心を動かされ、前向きに生きることに目覚めた。めでたしめでたし、というわけだが……
「実に疑問です」
街を眺めながらジスカルドは首を捻った。可動範囲の許す限りで、だが。
「彼の演説は、そこまで人の心を打つものだったのでしょうか?」
「ありきたりな演説だよ、ジスカルド。誰もが一度は聞いたことのある、よくある台詞を並べた奴だ」
パンをかじりながら私は答えた。ありきたりな味がした。
「では何故、彼らは心を動かされたのでしょう」
パンを飲み込む。私は口を開いた。
「時間が傷を癒す時がきていたのさ。後は、きっかけだけあればいい。そういうことなんだろう」
下を向き続けるのも、案外疲れるものだ。もっと乱暴に言ってしまえば、彼らは嘆くことに飽きたのだ。
「何も変わらなくても、時間が経てば人は変わるのですか?」
「そういうこともある」
「なるほど」
実に勉強になります、と、彼は無感情に言い、私を振り向いた。
「一つお聞きしたいことがあります。貴方が私を呼んだ理由です。貴方は私を彼らに会わせたかったのでしょうか。それとも、彼らを私に会わせたかったのでしょうか」
「フム」
頭を掻いて苦笑する。
「私にもよくわからん」
一体、私はどちらを期待していたのだろうな……?
「ロボットの君には、曖昧な答えは禁物だったか?」
「いいえ」
ジスカルドは真面目くさった口調で首を振った。
「曖昧である、という事実が明確になりました」
また彼は街に目をやった。霧の中にゆらゆらと人影が漂う。彼らは最初から人間だった。良くも、悪くも。
「興味深いことです」
金属の身体に硬質な輝きを宿し、ジスカルドは静かにそう言った。