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私が偽りのレンダーシアで関わった事件に関しての記録は以上になるが……
いくつか付け加えておきたいことがある。備忘録として、それをここに記しておこう。
最初に、あの地下牢に閉じ込められていた囚人のことだ。
彼は結局最後まで、何も知らないままだった。そして事件が解決すると「久しぶりの飯にありつけた」と喜びのコメントを返してくれた。
どうやら事態が収まるまで、飲まず食わずで過ごしたらしい。普通では考えられないことだが、思い出されるのはセレドの子供達のことである。
伝え聞いた話だが、一時期、セレドの町で食料が不足したことがあったそうだ。だが子供たちは空腹を訴えつつも、飲まず食わずの状態で数日間、無事に過ごしたという。今にして思えば、彼らの"真実"を最初に示唆した出来事だった。
どうやらこの男も、そのように作られた存在であることは間違いないようだ。
だが、相変わらずこの町の住民とは違った反応を示す彼がどういう意図をもって作られたのか、謎のままである。
また、活気づき始めた王国とはいえ、全員がそうというわけにもいかず、港に務める従業員の何人かはうなだれたままだ。なまじ外の世界を身近に感じるが故、だろうか。
厩舎に飼われている二頭の白馬も、気の違ったような嘶きを止めようとしない。人間が心変わりしようが、彼らには知ったことではないらしい。馬耳東風とはこのことか。
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そしてもう一つ、グランゼドーラから南西、潮騒響くココラタの浜辺。
この漁村に住む人々はグランゼドーラの住民と同じく、自分が作り物であることを悟り、狂気にとらわれている。
グランゼドーラでの出来事が、ここにも何かの影響を及ぼしているのではないかと期待して訪れてみたのだが……村の様子は相変らずだった。偽りのレンダーシア各地に変化が訪れた今、ここだけがなお狂気の渦中にある。
打ち寄せる波の音とは裏腹に、風は止まったままだった。いつか風の吹く日もあるのだろうか。今は、黙って去るのみだ。
私はとりあえずの現状を報告書にまとめ、浜辺からグランドタイタス号に乗り込んだ。長い旅だったが、偽りのレンダーシアからようやくの帰還である。
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波に揺られて、沖から眺めてみると、あの偽りの世界も少々名残惜しい気がした。謎めく霧の中に、レンダーシアが消えていくのを、後ろ髪を引かれる思いで私は見送った。
ヴェリナードへの報告書は一通り作成したが、どれもまだ書き途中という気がしてならない。いくつもの忘れ物がある。
「いずれまた、ここを訪れることになるだろうな」
と、私は独りごちた。隣ではジスカルドが無言のまま佇んでした。
私は物言わぬ硬質なメタルボディに自分の顔が歪んで映るのを見つめ、その中にいくつかの顔を重ねた。そしてふと気になって、彼に一つの問いを投げかけた。
「機械が人間になりたがることはあるのか?」
彼は消灯していたモノアイに小さな灯を浮かべると、まるで遠い故郷に思いを馳せる旅人ように、窓の外に目をやった。
「かつて私が造られた時代に、家族の代わりとなることを求められたロボットがいたと聞きます。彼はその命令を実現するため、可能な限り人であろうと努力しました」
「その結果は?」
「死にました」
ジスカルドは淡々と、だが間違いなく言った。窓に映った顔は、無表情だった。
「死か」
「ええ」
故障でも機能停止でもなく、死と彼は言ったのだ。
「死を受けれることが、人になるためには必要なことだと、彼は考えたのです」
なるほど、人は皆死ぬ。私は頷いた。死が逃れえぬ宿命だからこそ、人は子を残すのだし、また死を遠ざけるために食欲が存在する。人の本能は全て、死という動かしがたい事実に根差していることを私は理解した。
「彼は完璧に命令を果たしたと思います」
彼の口調はどこか誇らしげだった。
私は霧の中に、もはや影だけになったレンダーシアを見つめた。飢えることのない住民たち。彼らもいつか同じ命題を突きつけられるのだろうか。
「どこへ行くんだろうな」
ふっと、ため息が漏れた。ちょうどその時、船内にアナウンスが響いた。
「本船はこれよりレンドアへと向かいます。到着までの間、ごゆっくりとお過ごしください」
急に肩の力が抜けた気がした。私はその言葉に甘えて、ベッドに寝転び、大きく伸びをした。
あれこれと考えていても仕方がない。しばらく眠るとしよう。人には眠りという本能がある。曖昧な忘却の彼方に、早くも沈んでいく自分自身を瞼の裏に私は眺めていた。
私も、あの人々と……
『少しも、変わらん』
と、いうわけだ。
波のリズムが眠りを誘う。我々ウェディには、親しんだリズムだ。
ゆらり、ゆらりと、舟を漕ぐ。
全てが夢と現実の間に、溶けていくようだった。