春の訪れ。風は穏やか。
ジュレットの自宅。私はベッドの上でトランプを弄びながら本棚に目をやった。
先日、衝動買いした特集本の表紙で、左腕にサイコガンを持つ男がニヒルな笑みを浮かべてこう言った。
「切り札ってのは、最後まで見せないもんだぜ」
けだし名言である。
その言葉にうなずきながらも、私が真っ先に山札から引いたのは、ジョーカーのカードだった。
何事にも例外というものがある。道化師と目が合った。皮肉な笑いが浮かんでいた。
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悪夢団との戦いから、もう二廻りも経っただろうか。
実はあれからもう一つ、大きな戦いを体験しているのだが……それについては、また別途記すことにしよう。
今、私は新たに習得した"切り札"の使い方を、あれこれと想像しているところだ。イメージトレーニングといってもいい。
何故、実戦で試さずにイメージなのか、というと……
私がベッドから離れられなくなってしまったせいである。
「風邪ですニャ」
ドクター・ニャルベルトが私の額に肉球を押し当てた。猫魔道は大きくため息をついた。
「前にも似たようなことあったニャ。進歩の無い奴だニャー」
ううむ、返す言葉もない。
全く、不用心だった。
紅衣の悪夢団を名乗る過激教団との戦いは、我々魔法戦士団の勝利に終わった。
敵の目論見は阻止され、女王陛下からも格別のお言葉を頂き、冒険小説ならばここでめでたしめでたし、となるところだが現実はそう甘くない。まだまだ面倒な事後処理が残っていたのである。
例えば、投降してきた教団員の処遇問題。事実を整理し、裏付けをとるためには更なる調査が必要だ。
残党の掃討も急がねばならない。地下に潜伏してからでは遅い。だが先の戦いでグランゼドーラと共同戦線を張ったことで各部隊は一時的に混成部隊となっていた。部隊の再編成が必要だ。
その一方で、魔法戦士団は悪夢団との戦いだけに専念しているわけではない。
この戦いは魔法戦士団の中でも最重要作戦に指定されており、各部署から多くの団員が投入されていたのだが、戦いが終わった今、彼らは本来の部署に戻らねばならない。先方から矢の催促。現場は悲鳴を上げる。異動時期の調整、必要な情報の引継ぎ、ウン・ヌン。
無論、まだまだ下っ端の私がそれらを一手に引き受けるわけではないが、アーベルク団長の指示の元、様々なデスクワークをこなさねばならなかった。
疲労困憊である。
剣を振るう戦いの方がまだ楽だ、と冗談交じりに同僚の魔法戦士が言った。まったくもって、同感。苦笑を漏らし、肩をすくめた。
だがその一方で、どうしてもこなしておきたいことが一つだけ、あった。
ダーマ神殿にて、あのまつげのマスターが、各職業の奥義を会得するための最終試練を実施するというのである。
一刻も早く習得したい。その誘惑に、私は負けた。
ある日の深夜、デスクワークで疲れた体に鞭打って、私はダーマ神殿に向かった。他の冒険者より一日遅れの試練参加となった。
溜まりに溜まった疲労もあり、かなりの苦戦を強いられたが、なんとか試験には合格。新たな技を習得することができた。
そこまででやめておけばよかったのだが……。
やはり習得した以上は試し撃ちがしたい。私は早速魔物との戦いに赴いたのだった。
マダンテ。伝説の魔法都市、カルベローナにおいて開発されたという究極の呪文。
この呪文は体内の魔力を故意に暴走させることで破壊の力を得る、恐るべき魔技である。
一瞬の緊張。そして実践。
私の唇が一言、その呪文を唱えた瞬間、暴力的な風が体内を吹き抜け、嵐となって破裂するのが分かった。
衝撃が突き抜ける。私の身体から放たれた魔法力が光となって爆発し……そして私は、ばったりとその場に倒れたのだった。
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「マダンテは魔力を暴走させる大変危険な呪文です。体調の悪い時には使用をお控えくだニャい、だとニャ」
ニャルベルトがマニュアルを片手に呟いた。どこから持ち出したんだ、それは。
「使用時の注意事項はちゃんと読まニャーいかんニャー」
このように焦って無理を重ねた結果、私の体調は悪化。
あとは春風が少し悪戯心を起こすだけでよかった。春先の三寒四温。季節の変わり目にご用心、だ。
そういえば、巷では春の妖精がまた騒いでいるとの噂だが……もしや、この風邪も春の訪れを拒む者の仕業では……
「それはお前のジコカンリの問題ニャー」
猫がぐるぐると喉を鳴らした。
……とりあえずニャルベルトに小遣いをやって、既定の魔物討伐だけは終わらせておくことにする。便利な時代になったものだ。
さて、新たに習得した技能についてだが、僅かな期間ながら試し撃ちをすることもできた。
どうせ外には出られないのだし、忘れないうちに所感をまとめておくことにしよう。