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薄暗い森に、泥をまき散らすような重い水音が響き、赤い液体が飛び散った。森を覆う捻じれた樹木に、真っ赤な粘液がまとわりつく。それは重く、暗く、そして鼻をつく独特の匂いを漂わせていた。
枝の先端に流れ集まったそれらはゆっくりと質量を増し、まるで枝になった赤い果実のようだ。
地を揺らす足音。駆け抜ける影。
ややあって、熟した果実が地に落ちる。そしてしばしの静寂。微かに震え、蠢きながら、果実は待ち続ける。彼らは導火線に火をつけられた爆弾のように、再び弾け、飛び散る時を待っているのだ。
じりじりと、導火線の歯ぎしりが私の耳を焦がす。私は枯葉に足を取られながら、森の中を駆け抜けた。あの爆発に巻き込まれれば、ただでは済まない。流れる視界の中、かすかに森を照らす木漏れ日を頼りに走る。
走る、走る……そう、脱兎のごとく……
ふっと、場違いな微笑みが、唇の端に浮かんだ。
……脱兎のごとく、か。
振り返れば、赤と黄の影が、木々の間を駆けまわるのがわかる。はっきりとは見えないが、私は彼らの容姿をよく知っていた。
毛皮に覆われた、小柄で筋肉質な体。やや肥満体に見える。愛嬌のかけらもない、不細工なマスクが彼らの顔を覆っている。そしてその頭部には、特徴的な長い耳が二本、逆立つように生えていた。
この森では、追うものもウサギだ。
カチカチと時限爆弾のように果実が音を鳴らす。何故カチカチと音がするのか、彼らに聞けばこう答えるだろう。ここはカチカチ山さ、と。手加減情け一切無用、親の仇か世の敵か。タヌキは川底に沈んでいく。ウサギも案外侮れない。
……などと、冗談を……
「言っている場合では、ない」
のである。
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奇声を上げ、迫りくるウサギたち。彼らこそは間違いなく、森一番の狩人だ。戦いは劣勢だった。
この森は、真っ赤なジャムと、脂ぎったバターが飛び交う狂気のパーティ会場。ウサギたちと森でパーティを、といえばまるでメルヘンだが、目の前の光景はどちらかといえば光景は悪夢に近い。何しろ、テーブルの上のご馳走は我々自身なのだ。
既に何人かの仲間が食卓に乗せられた。間に合ってくれよ、と胸の内で呟いて、私はひたすらに距離をとる。
やがてジャムの匂いが消え、導火線の音が耳から離れた頃、ようやく私は脚を止めた。
くるりと踵を返し、帽子をかぶり直して深呼吸。ようやく魔法戦士らしいことをする時が来た。
固く握りしめたイーリスの杖を高く天に掲げる。……と、杖の先に光芒が滲む。しばらくそこで渦巻いていた光の群れは、次の瞬間、頭上の枝葉を貫き、空へ吸い込まれていった。
ややあって、倒れた仲間の元へ光条が降り注ぐのが見えた。
これは杖使いの秘術の一つで、復活の杖と呼ばれる技だ。
杖に宿った魔力が傷ついた身体を包み、彼方へと飛んだ意識を復活させる。上手くいけば、起死回生の一手となるだろう。
勝ち誇ったウサギどもめ。私は気を奮わせ、木々の間を睨みつけた。お前たちに、亀に追い抜かれる運命を教えてやる。
私は最後の仕上げとばかりに、一際高く、杖を掲げた。
……その時だった。
私の無意識が、視界の端に、あってはならないものを捉えた。
それは私の足元。ひっそりとたたずむ、影。
どす黒いキノコ。
冷たいものが背筋を伝う。
ウサギたちの嘲笑。
黒いカサが、じりじりと震えだす。脚はもはや動かない。
渇いた破裂音。
衝撃と共に、私の意識と勝利が遠のいていった。
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暗転。
ぱらりとページをめくるような音がして、空が、真っ白に染まる。まるで壁紙でもはがしたかのように森の景色が消えていった。
やがて、新たなページが降って来る。
いくつもの文字が群れをなして踊り出し、目に、脳に情報を送り込んでくる。
目も眩むような一瞬の閃光。
そして私の前に、新たな風景が映し出された。