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夜。ジュレットの街を歩く。
昼は常夏の日差しに照らされ賑わう町並みも、日が沈み、夜風が吹けば静かなものだ。
少し前までは凍えるような潮風に身震いしながら歩いていたものだが、今は風も穏やか。
海の彼方に冬は去り、初々しい春の匂いもいつの間にか立ち消えて、しめやかに海岸線を撫でるミューズの波が、初夏の足音のように夜の街に響いていた。
ざあざあと、真っ青な波の間を、白い飛沫が踊る。
さながら夜に舞う踊り子のように……などという言い回しは、ちょっと気取りすぎだろうか。
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行きつけの店に顔を出すと、冒険者らしき一団が喧々囂々の議論を交わしているところだった。
曰く、盾の在り方について、曰く、メダル確保の方法。そしてまた曰く、新たに冒険に加わるという踊り子について。
足音を立てて近づいてくるのは、季節だけではない。冒険者にとっての新時代もまた、確実に近づきつつある……
「……らしい」
「らしいって?」
隣に腰掛けたエルフのリルリラが伸びをしながら首をかしげた。
「もうすぐそこだよ?」
壁にかけられたカレンダーの丸印が、彼女の言葉に頷いていた。
「ボーっとしてると時代に取り残されるのニャ」
逆隣のイスにひょいと飛び乗ったのは猫魔道のニャルベルト。
ひと頃は仔猫一匹に大騒ぎしていたこの街だが、近ごろでは彼が歩いていても誰も気に留めないようになった。変われば変わるものだと思う。
「ボーっとしているつもりは無いんだが……」
ちょうど頼んだ飲み物が届いた。リラの故郷、エルトナで好まれているグリーンティーだ。勧められて私も最近、飲むようになった。まろやかな舌触りの奥に、ほろ苦い味が広がっていく。これがワビ・サ・ヴィというものか。
ごくりと飲み込んで、私は先を続けた。
「何故か実感が沸かなくてなあ」
しばらく寝込んでいたせいだろうか。どうも、時の流れが速すぎる気がしてならない。新時代は目前だというのに、まだしばらく現状が続きそうな気分なのだ。全く、奇妙な感覚だ。
「私は興味あるなあ」
エルフは頬杖をついて足を前後に揺らした。
「踊り子でも目指してみようかな」
「"でも"、で目指せるほど簡単な職業には見えんぞ、あれは」
呆れ顔を返す。とはいえ、魔法戦士の私にとっても、彼らが興味深い存在であることは確かだった。
魔力を秘めた神秘の歌と、舞うが如き美しい武術の使い手。それが踊り子である。
魔法戦士にとっては、競い合うライバルとなるのか。あるいは互いの長所を活かし合う、良きパートナーとなるのか。理力を惑わす数々の舞は、いかにもフォースと相性が良さそうだ。
……が、一つのパーティに中衛が二人も入るのは少々厳しい。
もし、噂に聞く蘇生術が頼れるものだとすれば、彼らを癒し手に数えて、僧侶、踊り子、魔法戦士、アタッカーという構成も有り得るか?
あるいは、踊り子自身がアタッカーになるという道も……
まあ、魔法戦士が踊り子の攻撃を支援するというのは、少々複雑な気分だが。
「ニャんだかんだで興味津々だニャ」
「当然だ」
無いのは実感であって、興味は人並み以上にある。
「達人のオーブっていうのは?」
いつの間にか届いたパフェをつまみながら、リルリラ。
「技がパワーアップする奴だニャ!」
「まあ、期待はしているが……」
私は店員から熱々のパスタを受け取りながら答えた。
「あまり期待しすぎると、痛い目を見るのが常だからな……」
盾の存在意義が揺らぐ今、片手剣には相応の飛躍を求めてもいいのではないか。
マダンテも、あと少し準備期間が短くなれば運用しやすくなる。
フォースブレイクの成功率も、上げることはできないだろうか。
全てが、達人のオーブの力により……
「叶えられる、などと期待すると、がっかりすることになるだろうしな」
「そりゃ、そこまで高望みしたらね」
「高望みかな……」
「高望みだニャ」
猫はアジの煮つけにかぶりつく。リルリラは幸せそうにスプーンをグラスにくぐらせた。
銀の匙がクリームの層を突き抜け、カオスとも思えるシロップの海から、糸を引くような甘みたっぷりのフルーツをすくい上げる。
「多分さ。このパフェぐらいの楽しみで、丁度いいんじゃない?」
リルリラは片目をつぶって笑みを浮かべた。
「……どれくらいだなんだ、それは?」
答える口はクリームとフルーツに占拠されて、それどころではないようだ。
やれやれ。私は呆れ顔でエルフの顔を見つめる。
実に、満ち足りた顔だった。
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食事を終え、家までの道を再び歩く。月は高く、星は透き通った輝きで夜空を彩る。
さて、どんな時代がやってくるのやら。
風が吹く。波が語らう。
渚の踊り子は、月をバックにステップを踏んで、新しい時代へと我々を手招きするかのようだった。