「あっ、ミラージュさん、実はお願」
「断る」
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……会話が凍った。出鼻をくじかれたタッツィは口を開いたまましばし硬直した。
ここはセレドットの山頂にそびえるダーマの神殿。
かつては信徒たちの祈りの声と、流れる水の音だけが静かに響く厳かな空間だったのだが、今では慌ただしく出入りする多数の冒険者と大量のマツゲにまみれ、随分と猥雑な空間になってしまった。
タッツィはこの神殿でスキルマスターと呼ばれる師に仕え、日々修業に励む青年なのだが……
「あの、ミラージュさん、僕はまだ何も」
「断る」
にべもなく拒否。タッツィの額に汗が浮かんだ。
「せ、せめて話だけでも……」
「タッツィ、だったな」
ことさらによそよそしく、私は言った。
「君は私の友人ではないし、恩人でもない。義理も無ければ借りも無い。つまり私には君を助けてやる理由が一つもないということだ」
「そ、それはそうですが……」
「他をあたるんだな」
背を向ける。追いすがるタッツィ。
「あの、僕は何か貴方に嫌われるようなことでもしてしまったのでしょうか?」
「私に好かれるようなことでもしたことがあったか?」
さすがにタッツィは言葉に詰まった。気まずい空気の漂う中、私は振り向かずに言葉をつづけた。
「……実の所、君に恨みはない。だが私の得た情報を照らし合わせ、総合的に判断した結果、君の話は一切聞かない方がいいと判断した」
「情報って……た、ただの噂ですよね、それ!」
「私の座右の銘を教えてやろう。君子危うきに近寄らず、だ」
「なんでそんな人が冒険者やってるんですか!」
「人には色んな顔がある」
「そんな理不尽な……」
「今の君以上に理不尽な目に遭ったという体験談もあるからな……」
すげなく私は首を振った。
普段、私はこういう意味での"情報収集"は行わないことにしている。いみじくもタッツィの言った通り、未知に飛び込んでこそ冒険者だ。
だが今回はチームメンバーたちの不穏なつぶやき、そして酒場から聞こえてくる阿鼻叫喚の声に、思わず事前調査を行ってしまった。
そして、決断。
……多少の不便は受け入れよう。精神衛生上の問題の方がはるかに重要だ。
私は故事に倣い、追いすがる青年にこう言い放った。
「恨むなら自分か"神様"にしてくれ」
ダーマ神像に目を向ける。視線を遮ったのは、相変わらずのマツゲ面だった。まったくもって、目に毒だ。
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背後からは再びタッツィが追いすがる。
「待ってください! 相応の報酬は用意してあります!」
「黙らんと刀の錆にするぞ」
厳しく言い捨てる。ちょうど先日手に入れた、超はやぶさ斬りの宝珠を試してみたいと思っていたところだ。
「本当に便利な報酬ですよ! 貰わないと絶対損……」
彼が口にできたのはそこまでだった。次の瞬間、タッツィは腰を抜かして床にへたり込んだ。彼は幸運だった。つい先ほどまで彼の頭があった場所を、私の剣が貫いていたのだから。
奥の柱に突き刺さった剣先を力任せに抜くと、砕けた柱の破片がタッツィの頭の上に降りかかった。
「タッツィ」
私は剣を鞘に納めつつ、静かに言った。
「柱の修理費は君が払え」
「えっ!?」
何か言いたげな顔に背を向けて、私は神殿を後にした。
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神殿前の広場。水路を流れる水の音が清らかに響く。神々しく輝く光の河に包まれた、セレドットの山景色。日は穏やかに光を投げかけ、高嶺の花は雲を背負ってつましく揺れる。
ここは神に最も近い場所、のはずだったのだが……。
私は冷たい視線を天に投げかけた。
まったく、"神"も何を考えているのやら。
被害を免れたのは幸いだったが……。
……人柱となった先人たちの魂が、せめて安らかであることを祈ろう。
私はルーラストーンを空に掲げた。
嫌なことは忘れて、楽しいことだけやるに限る。とりあえずは宝珠ハンティングだ。まずは隼斬り。続いてギガブレイク。弓の宝珠はどれを選ぶべきか。マジックルーレットの宝珠は、いつか手に入るだろうか……。
やりたいことは次々と湧いてくる。ルーラストーンが輝き、身体がふわりと宙に浮くと、心も弾んだ。
その背後で神殿の影は、彼方へと消えていった。