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二階から降り注ぐ弓矢と火球の雨、中央でグツグツと煮える大鍋からは、足の生えたトマトたちが次々と飛び出す。少し前まで寂れた雰囲気を醸し出していた夜宴館は、今や狂乱の渦に包まれていた。
ふわりと浮かんだ水晶玉に腰掛け、それを見下ろすのは魔女グレイツェル。けたたましい哄笑がダンスホールに響く。
私は立体的な戦場を駆けぬけながら、火球を飛ばす猫魔族たちに剣を振るった。まず、ホールを取り囲んだ彼らを始末しなければ話にならない。
一方、仲間の武闘家は、どうやら魔女の元へ向かったらしい。臍を噛む。計算違いだ。酒場で雇った冒険者たちはこちらの思うようには動いてくれない。
結局、雑兵は魔法戦士の私が一人で倒すことになった。その間、回復役の僧侶が持ちこたえてくれたのは僥倖と呼ぶしかない。
「さて、ようやく本番か」
私は改めて魔女と向かい合い、剣を構えた。グレイツェルの赤い唇が薄く微笑む。背後では大鍋からトマトが溢れ出す。構わず私は間合いを詰めた。武闘家もそれに合わせる。
剣と爪の乱撃が魔女のしなやかな肢体に襲い掛かる。グレイツェルは魔法の力場でそれを受け止めつつ、水晶の浮力に任せ、じわじわと後退する。その口元には、余裕の笑み。だが、剣を振るう私の手には、確かな手ごたえがあった。
これならば……
そう思った矢先のことだった。魔女がカッと目を見開き、牙をむくような凶暴な笑みを浮かべたのは。
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「ようやく……本番かしら」
そして魔女は狂ったように笑い始めた。
狂気に満ちた高笑い。声はホールに幾重にも反響し、前後左右、魔女の嘲笑が私を取り囲んだ。と、同時に水晶がくるりと円を描いて私の周りを回り始める。合わせて身を翻すうちに、私自身の平衡感覚もくるくると惑い始めた。
「私は誰?」
魔女が囁く。
「私を見て」
魔女が呟く。
「私は、ここよ」
魔女の手招き。
背後から、頭上から、いや、正面か……?
「ホホホホホ………」
高笑いが響く。片手を掲げる。爆光が館を包む。
混乱、困惑、眩惑……幻覚!
やがて光の中に、陽炎のように佇む影が三つ。
気付けば、私の周囲を取り囲むのは、同じ顔を持つ3人の魔女だった。
剣を構えたまま後ずさる。どれを狙えばいい? 3対の魔女の眼はその迷いを見透かしたように鋭く光り、隙を逃さず三位一体の攻撃を仕掛けてきた。
周囲を取り巻き、回転しながら破壊の魔法を繰り出す。立て続けに、私の身体に衝撃が走る。僧侶たちの必死の援護も、その波状攻撃の中では無意味に思えた。
「ハッピーエンドって、何かしら」
爆炎の中、唐突に魔女の一人が呟いた。そして答えを待たず、背後に迫った魔女が囁く。
「どうせ幸せになれないなら、二人で地獄に落ちましょう」
クスクスと笑い声。
「あなたと一緒なら、案外、天国かも」
正面の魔女が細い指で私の顎を撫でる。満身創痍となった私は、抵抗すらできなかった。せめて、挑発的な笑みと共に言葉を返すだけだ。
「……その台詞、言う相手が違うんじゃあないのか?」
「そうね……あの人はもう、私のものにはなってくれない」
グレイツェルは一瞬、瞳を閉じ、そして潤んだ瞳を私に近づけた。
「……彼の代わりが欲しいの」
鮮やかな紅を引いた唇がそっと囁いた。熟れた、濡れた、真っ赤な……
「ウ、ソ」
再び、閃光。光と熱の中で私の身体は高く舞い上がり、地面に叩きつけられた。鳴り響く魔女の嘲笑……。
気付けば、私は本を手にしたまま、元の机の前にいた。
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こうして、最初の挑戦は私の敗北に終わった。
それから私は夜ごと、夜宴館に通い詰めた。魔女はいつも蠱惑的な微笑みと、冷たく攻撃的な瞳で私を出迎えた。宴はいつまでも続いた。
一度は勝利したこともある。雇った冒険者ではなく、同じチームに所属する仲間たちと共闘した時のことだ。悪戦苦闘しつつも、辛うじて拾った勝利。
だが、魔女の笑みは消えなかった。
「ハイ、よくできました。ご褒美をあげる」
3つの水晶玉を残して、彼女は姿を消した。
まだまだ負けたつもりは無いらしい。私自身、仲間に勝たせてもらったという気持ちがある。
なんとか、あの余裕の笑みを消してやりたいものだ。
私は再戦を誓いつつ館を後にした。
あれから数か月。
私は魔法戦士団の仕事が忙しく、夜宴館とは疎遠になっていた。
だが、あの時と比べ、私の腕も多少は上がっている。装備も整え、そして戦術も練り上げた。
今ならば、という気持ちがあった。
今日、私は久しぶりに本をめくる。魔女を称える文字が躍り、童話の挿絵が生気を帯びて動き出す。
夜宴館は以前と変わらず、静かに私を出迎えた。