アリオス王の主導で開催された八王会議。そこで発生したハプニングは各国に大きな衝撃を与えた。
我がヴェリナードも更なる事態に備え、敵の標的と思われるオーディス王子に影武者をたてた。その役に抜擢されたのが、私の友人、ヒューザだった。

ヒューザは王子を演じ、王子は逆にヒューザを演じる。
当初、その話を知らなかった私は宮殿内に旧友の姿を見つけ、声をかけて仰天したものだ。
気品ある凛とした声、やや気負った口調で受け応えする「ヒューザ」
一方、そのやりとりを遮る「王子」の声はぶっきらぼうでがさつ。私の頭はメダパニをかけられたスライムのように乱れ惑った。
もしや、二人の頭の中が入れ替わってしまったのか? 王子とヒューザが頭をぶつける光景が脳をよぎった。
「……何考えてんだ、お前」
ヒューザは呆れた様子でため息をついた。
こうしてヒューザは王室のお歴々と行動を共にすることになった。
普段王子がそうされている通りに、ヒューザもセーリア様の隣に立つ。
思えばこの二人は知らない仲ではない。500年前、セーリア様と共に暴君に挑んだ戦士リューデは、ヒューザの遠い先祖にあたるのだ。
かつての友が残した子孫の姿に、彼女は何を思うのか。
控えめな微笑みで一同のやり取り見守った後、巫女姫はこのように仰った。
「あのう、そろそろお夕食のお時間では?」
……どうやら、特に感想は無いようだ。

その後は王室がヒューザを招く形での食事会となった。運ばれてくるのは豪勢な料理、卓上を賑わすのは家族の団欒。物質的にも精神的にも満ち足りた、絵に描いたような幸せな食卓。
それが、ヒューザの気分を害したらしい。
食事会を中座し、私と二人きりになった後でヒューザはこう言った。
孤児である自分には、家族の愛など手に入らなかった、と。
愛されて育ち、全てを与えられて真っ直ぐに成長したオーディス王子。彼を演じることで、ヒューザは自分が持たざるものであることを、否応なしに思い知らされたのだろう。
だが……ぴくり、と私の眉間にしわが寄ったことに、彼は気づかなかった。
「俺は所詮、孤児なんだ。おかげでお前らともダチになれたわけだけどよ……ああいうのとは違うんだって、わかっちまった」
次の瞬間、私の拳がヒューザの左頬を捉えていた。
不意の一撃によろめいたヒューザは一瞬戸惑い、次に怒りの表情を浮かべた。
「何をしやがる!」
「黙れ!」
「……この野郎!」
ヒューザも拳を返す。振り抜いた拳が私の顔に叩きつけられ、熱いものが走った。半歩後退しつつ私もまた拳を持ち上げた。
それからしばらくの間、我々は殴り合った。
お互いに何か喚き合っていたように思う。今はもう、覚えていない。
ただ、殴り、殴られるたびに顔面と拳の両方に痛みが走った。そのことだけ嫌というほど覚えている。
やがて息が切れ、殴打の応酬も途切れた。肩を大きく上下させ、奥歯を噛みしめたまま互いに睨み合う。
「さっきの台詞……」
よくも私の前で、という言葉は辛うじて飲み込んだ。
「……ソーミャの前でもう一度言ってみろ」
咄嗟に出した名前だったが、この言葉は拳以上に彼をよろめかせたようだ。
ソーミャはヒューザが目にかけている孤児の少女だ。
しばし、沈黙。宮殿を流れる水の音がさらさらと夜空に響いた。

静寂を破ったのは、甲高い悲鳴だった。
我に返り振りかえると、宮廷付きの侍女が愕然とした表情で立ち尽くしていた。
「ミラージュ様、なんてこと……王子を殴るなんて!」
「えっ?」
ハッと、私は自分の拳を、そして今は王子の顔をした旧友の顔を見つめた。
こうして私は「王子を殴った男」になってしまったわけだ。
幸いにもヒューザが機転を利かせて訓練の一環、ということにしてくれたが、体裁上、御咎め無しというわけにもいかない。
私は警護の任を解かれ、別の仕事にあたるよう命じられた。
「と、いうわけだ」
ジスカルドは私の説明を聞き終えて、しばし考え込んでいたようだった。
「戦力の効率的な運用という観点からすれば、かなり無駄の多いことです」
「ヒトのやることは機械のように合理的にはいかんさ」
なるほど、とロボットは頷き、第二の質問をした。
「ところで、何故貴方はその男性を殴ったのでしょうか?」
「ジスカルド、その答えはさっきと同じだ」
私は問答を打ち切り、調査団の手伝いを再開した。
ジスカルドも、それ以上は追及しなかった。
あのヒューザですら後れを取ったという襲撃犯、通称「蛇」。いずれ私も彼奴を追うことになるだろう。
その時には……
私は自分の拳としばし睨み合った。
言葉は無く、ただ熱いものが拳の内から沸き上がっただけだった。