○月△日
エジャルナの西、烈火の渓谷。
炎が渦巻く殺風景は相変らずだが、これまで歩いてきた地域に比べると入り組んだ地形になっており、さながら切り立った崖と細い山道で造られた立体迷路といった風情である。
周囲を見渡す。まず目を引くのは南の空に赤く輝く十字架のような塔。地図によれば、あれは業炎の聖塔というらしい。ナドラガ教団の管理下にある施設だろうか?
そして北の空には……驚くべき景色が広がっていた。
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まるで業炎の侵略を阻むように、黒雲が空を覆う。あるいは、その逆か? 空中でせめぎ合う赤と黒の拮抗は、何かを象徴する光景に見えた。
再び地図に尋ねれば、あの黒雲の中心はフェザリアス山というらしい。ナドラガンドへやってきて以来、文字通りの炎天下に辟易としていたところでもり、俄然、興味を惹かれる。幸い、マティルの村も同じ方角。進路は北と決まった。
道中、気になるものが二つ。
一つは、そこかしこに生えたこの植物。蕾の先から火を放つこれを植物と呼んでよいものかどうか、植物学の専門家でない私には判断しかねるところだが、仮にそう呼ぶとしよう。
火を吹く植物はこれまでも見てきたが、特筆すべきは、綺麗な円形の火花を生み出すことである。それこそ、花のように。
駄洒落が好きな者なら間違いなく……
「まさに花火、ってことだね」
と、したり顔で言うだろう。そう、私の隣にいるこの娘のように、だ。
案外、ナドラガも似たような顔だったのではないか? 得意満面のリルリラにため息をつきつつ、私はそう思った。
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もう一つは、この地を闊歩する魔物たち。とりわけ、リザードマンの近縁種にあたると思われる二足歩行のトカゲ男、アッシュリザードである。
酒場で冒険者たちから聞いた話によると、バイキルトの呪文を極めるためには彼らとの戦いが欠かせないそうだ。
思えば、魔法戦士としての修業は竜騎兵との戦いから始まった。需要は低いが、各種フォースの宝珠を持っているのも彼らトカゲ男たちだと聞く。どうも、魔法戦士とは縁の深い種族らしい。
バイキルトの宝珠は香水の力をもってしても簡単には手に入らないらしく、思わぬ足止めを喰らう形になった。
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やっとのことで宝珠を手に入れ、旅を再開。なおも追いすがるアッシュリザードたちを返り討ちにし……
「あれ?なんか落としたよ」
リルリラが何かを拾い上げた。妙な予感がした。
彼女の掌の上にあるのは、風の宝珠。つい先ほどまで血眼になって探していた一品だ。
……何故、一つ手に入れた途端にあっさりと……。
「神様は意地悪だよね」
僧侶リルリラは臆面もなくそう言った。ナドラガ神像は、遠い空から地を這う者を眺めていた。
渓谷の入り組んだ細道を北へ、北へと進む。天を覆う黒雲まであとわずか。岩山を穿つトンネルを潜り抜けた我々は、そこで奇妙なものを見た。
ひらひらと空より降り注ぐものがある。雪? まさか、この熱だ。手をかざすと掌に舞い降りる、乾いた感触。
同時に、私は黒雲の正体を知った。
灰だ。火山灰。街道を照らす灯火が、灰色の雨を映し出す。フェザリアスの噴き上げる噴煙が黒雲となって空を覆っているのだ。
超自然の炎の空。それを掻き消すのは火山という名の自然。私はある種の畏れと感嘆を覚えた。
そして赤い空から解放されたことに安堵のため息をつく。空の色が変わるだけで、まるで別世界である。
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地図を頼りに、さらに北上。
空の色が赤から黒に完全に変わり、靴の裏から降り積もる灰の感触が伝わるようになった頃、我々は目的の村へとたどり着いた。