○月□日
この日、我々はナドラガ教団の総本山、エジャルナの大聖堂に初めて足を踏み入れた。
我々がエジャルナに到達してから既に一巡り以上の時間が流れている。宿から少し足を伸ばせばいつでも入れたはずのこの場所だが、私はこれまで、ここに近づくことを避けていた。
それは教団から情報を受け取り、影響を受ける前に、自分自身の目でナドラガンドを見聞するためである。
決して広くはない炎の領界だが、見るべきものはいくつもあった。灰の降り積もるマティルの村、黒煙吹きだすフェザリアス火山。謎の円盤遺跡、日輪の如く輝く業炎の聖塔。
探索は私にいくつかの発見、わずかな情報、そして数限りない疑問をもたらしてくれた。
このあたりで、自分の見たものと教団の見解を突き合わせてみるべきだろう。
行ける場所にはすべて行ったのだ。この大聖堂を除いては。
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異教徒で異邦人、そして異種族。教団から見た我々はそういう存在である。当然、それなりの風当たりを覚悟して門をくぐったのだが、神官エステラの紹介状がものを言ったらしく、神官たちの物腰は柔らかで、我々は聖堂内、かなり自由に振舞うことができた。よく見れば大聖堂に出入りするアストルティアの冒険者は決して少なくなく、我々が特別注目されることもなかったようだ。
図書館の蔵書を閲覧する許可も得られ、おかげで調べものは、かなりはかどった。
たとえば、マティルの村について。
あの村ではかつて、フェザリアスの聖鳥から魔よけの炎を授かるという祭り、ほむら祭りが催されていたらしい。
我々が村で見たあの祭壇、そしてフェザリアスの登山経路に整備された跡があったこともこれで説明がつくというものだ。得たり、と頷き、手元のメモに書き足していく。
「先にこっちに来てれば、行くまでもなく分かったよね?」
じと目でリルリラがこちらをにらむ。山登りに付き合わされたことをまだ根に持っているらしい。
「それじゃあつまらんだろう。わからん奴だな」
「だって、時間の無駄じゃない?」
あと、体力も。と、口をとがらせる。
「その無駄を楽しんでこそ、旅人だと思わんか?」
この足で歩き回り、目で見たものを解釈し、想像の翼を広げる。そうしで描いた自分自身の地図と、別の誰かが描いた地図を照らし合わせて答え合わせをする。その瞬間の興奮は筆舌に尽くしがたい。
これぞ冒険者と言うべきではないか。誰かに言われた通りに歩くだけなら、子供の使いと変わらない。私はヴェリナードの魔法戦士だが、一人の冒険者でもあるのだ。
「一人の変わり者でもあるんだね」
リルリラが肩をすくめた。
わかったことはそれだけではない。
例えば、竜族にとってアストルティアは昔話に登場する幻想郷であるということ。エルフやウェディは神話上の生き物と思われていたらしく、すれ違う竜族がちらちらとこちらを振りかえるのは、このためである。
冒険者の例にもれず、私も伝承や神話には興味のある方だが、自分が神話上の生き物だと考えたことは無かった。竜族に写真機という文化が広まっていたら、一度や二度ぐらいはシャッターが切られていたに違いない。七不思議の当事者たちも、似たような気分なのだろうか。
他に目を引くものは、ナドラガ教団独自の神学書。彼らの教えによれば竜神ナドラガはアストルティア六柱神と並ぶ七柱目の神で、その中でも長兄に当たる主神とされているらしい。
アストルティアにおいては、勇者を生み出した人間の神グランゼニスが一歩抜きんでた存在として扱われることが多く、向こうに持ち帰ればちょっとした物議を醸す新説となりそうだ。……ま、竜族にせよ人間族にせよ、自分たちの崇める神を主神扱いするのは珍しいことではない。
教団員の心得にも触れることができた。
曰く、「炎」に焼かれ、「氷」に閉ざされ「闇」に落ち、「水」に流されようとも「嵐」に阻まれようとも、生きることを諦めてはならない。
「竜族の宗教って、具体的なんだねえ」
リルリラが率直な感想を口にした。
ナドラガンドは五つの領界に分かれているらしく、ここが「炎」なら、残りは……そういうことだろう。
とっさに思い浮かべたのは、あたり一面が氷に包まれた世界や、一部の陸地を残して水没した世界。真っ暗闇の世界に、常に嵐が吹き荒れている世界。……だがこれでは景色が単調になってしまいそうだ。それは困る。正直なところ、炎と溶岩だらけの世界にも少々辟易としているのだ。
「ま、ナドラガ神のセンスに期待させて頂くとしよう」
挑発的な笑みと共にアペカの方角を振りかえると、巨竜像の影が苦笑いを浮かべた、ような気がした。