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暗雲を吹き飛ばそうというかのように、プロペラのような風車が回る。だが、ゆるり、ゆるりと回転する羽根板は、淀んだ空気をかき混ぜるだけだった。
引き続き、エジャルナの大聖堂にて。
図書室で調べものを一通り終えた我々が総教主オルストフ氏に謁見を希望すると、即座に教主の部屋へと通された。数日は待たされることを覚悟していたのだが、エステラ殿の紹介状は想像以上の代物だったらしい。
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オルストフ氏はウェディよりも濃く青い肌を持つ小柄な老人だった。深く皺の刻まれた顔は、一見しただけでは目がどこにあるのかさえわからない。
いささか緊張気味に挨拶の言葉を述べた我々だったが、彼は意外にも腰の低い、穏やかな人物で、拍子抜けするほど好意的な態度で我々をもてなしてくれた。
とはいえ、彼がただの好々爺ということはあり得ない。神官たちの話によれば、彼は教団の設立者でもある。つまり、一代でこれだけの大勢力を築き上げた男なのである。
我々を厚遇するのも、それなりの計算があってのことだろう。
彼が教団を設立したのは、この異常気象に苦しむ人々を救うため、そして邪悪なる意思とやらに立ち向かうため、とされている。
他領界への道を探しているのは、各領界との連携により目的を達するためだ。
探索行が八方塞がりとなりつつある現状、アストルティアからやってきた冒険者こそが打開の鍵を握るのではないかと、大々的に協力者を募っているらしい。我々にとっては薄気味悪いほど都合のよい状況である。
「あなた方も、どうか力を貸してほしい」
総教主の言葉に、私は恭しく頭を下げておいたが……正直なところ、私は実感が沸いてこなかった。
と、いうのも、私はこの世界の本来の姿を知らないのである。
何が異常で何が正常なのか、それすらわからないのだ。
空に炎が渦巻いているのは異常なのか? 木々が燃えているのは? 花が火を噴くのは? 川を炎が流れるのは……どうやら異常らしいのだが。
この炎の領界も、本来は青空が広がり太陽が輝く世界だったのか、それとも炎に包まれた上で、今よりは過ごしやすい世界だったのか。
彼らが何を取り戻そうとしているのかわからない以上、こちらとしては共感しづらいものがある。そしてどういうわけか、誰もそのことを語ってくれないのだ。
そもそも、異常気象はいつから始まったのだろう。アペカで井戸が火を噴くようになったのは10年ほど前のことだという。その時期に全てが始まったのだとすれば、教団の歴史は意外と浅いことになるのだが、それにしては、教団の教えはかなり浸透しているように見える。
彼らが語る、"邪悪なる意思"なる敵についても、具体的に誰が何をしてどんな被害が出たのか。全てが漠然とし過ぎている。
「わからないことだらけだな」
私は天を仰ぎ嘆息した。相も変わらぬ赤黒い渦が私の視線を吸い込んでいく。漠然とした、余りに漠然とした虚空の彼方へ。
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さて……。
教主オルストフは異邦人に好意的だったが、中には我々に攻撃的な言葉を投げかける者もいた。例えば、私の目の前にいる、灰のように白い肌と朱色の髪を持つ若者がその一人だ。
教団員全てが協力的だとは思っていなかったので、さして腹も立たなかったが、彼の名を聞いた時には驚きと若干の失望を覚えた。
彼こそがトビアス。てっきり塔を攻略中だと思っていたが、エジャルナに戻っていたとは思わなかった。
エステラ殿と並び称される人物だけにどんな男なのか期待していたのだが、思ったより底の浅そうな男である。
険悪な雰囲気になりかけたのを仲裁したのは、他ならぬエステラ殿だった。彼女もここに戻っていたようだ。
女神官殿は教団員のみならず冒険者にも人気のようで、彼女の気を引こうと腹話術を披露する冒険者まで現れる始末だった。華やかなのは結構なことだが、そんな浮ついた気分で大丈夫なのか? 冒険者達の気の緩みっぷりに一抹の不安を抱かずにはいられない一幕だった。
当のエステラ殿はその芸が気に入ったらしく、冒険者の輪の中で、白い花が慎ましく咲くような笑顔を浮かべていた。
塔の試練についても、彼女から具体的な話を聞くことができた。
次なる試練は、水の満ちた球体の中に置かれた燭台に火を灯すこと。
なにやらリドルじみた話だ。どうやら挑戦者の知恵を試す試練のようである。
俄然興味が沸いてきた。こう見えても私はリドルには自信が……あまりないが、好みの仕掛けではある。幸い、教団は冒険者の挑戦を歓迎しているようだし、早速現地に赴いて知恵を絞ってみることにしよう。
「まさか聖鳥の炎なら水の中でも消えないから大丈夫、などという、つまらない答えではあるまいな?」
誰にともなく呟く。
ナドラガが冷や汗を流したのかどうか、誰も知らない。