炎の領界での探索も一通り終わり、私は宿で旅の疲れを癒しつつ、ヴェリナードへの報告書をまとめていた。
氷の領界への道は開かれた。試練に挑んだ冒険者達は竜族の解放者ともてはやされ、救世主扱いである。だが、沸き立つ人々の表情とは裏腹に、頭上を渦巻く炎が晴れる気配は無かった。
トビアスら教団員達は、先行して氷の領世へと赴き、基礎調査を行っているそうだ。私も加わりたいところだが、彼らにもメンツというものもあるだろう。今は待つしかなさそうだ。
オルストフ氏は、この暑さにも辟易したと言い、涼みに行きたい、などと軽口を叩いていた。いささか、気が緩み過ぎているようだ。ナダイア神官長が主を諌めた。
実際、失言だったのではないか。
彼の意見には非常に同感だが、炎の世界しか知らない人物が、ここは暑いので他の世界に涼みに行く、という発想を持てるのだろうか?
ひょっとすると、彼は他の領界からやってきたのかもしれない。
トビアスやエステラといった身寄りのない子供達を子飼いの部下として育ててきたことにも、ある種の計算高さを感じる。穿ちすぎかもしれないが、単なる好々爺と思っていては火傷をしかねない。
私は報告書の前で腕を組んだ。
考えるべきことはいくつもある。これまで思いつくままに書きなぐっていた報告書は、雑然とした事実の寄せ集めと化していた。
この機に少し、整理してみることにしよう。
ナドラガンドには大まかに四つの勢力が入り乱れている。
一つは我々アストルティア勢。奪われた神々の器を奪還することを目的としている。……まあ、物見遊山で来ている者も多い気がするが。
次にナドラガ教団。邪悪な力に封じられたナドラガ神を開放することが彼らの最終目的だ。
そして竜将アンテロの所属する勢力。アストルティアから神の器を誘拐した、我々にとって直接の敵といえる存在だが、今のところ影も形もない。
最後に、赤と緑の道化師のような衣装を身にまとう謎の人物。仮にピエロと呼ぼう。竜将と同じくアストルティアから神の器を奪い去った一人だが、アンテロとは敵対していたようだ。
私はまず、ここまでをヴェリナードへの報告書にまとめた。ここまでは間違いのない話だ。
問題はここからである。
ナドラガ教団のエステラ殿は、誘拐犯の話を聞き、「邪悪なる力」の仕業に違いないと言った。……さて、それはアンテロとピエロ、どちらをさした言葉だろうか。
我々から見て、より邪悪に見えるのはアンテロの方だが、ナドラガを封じた「邪悪な力」の正体が我々のよく知る存在だとしたら、アストルティアに敵対するアンテロと、ナドラガ教団の立場はそう変わらないようにも思えるのだ。それこそ、裏で繋がっているぐらいのことは……。
影も形もないと思われたアンテロの陣営が、実は堂々と目の前に現れていたとしたら?
そして逆もまたしかり、ピエロが教団にとっての「邪悪」だとすれば、ピエロの立場は我々に近いことになる。
……私は書きかけた報告書のページを破り、丸めて捨てた。全て仮説だ。いい加減な報告をするわけにはいかない。あくまで可能性の一つとして、胸の内にしまっておくべきだろう。
ナドラガの封印、種族神と五つの領界、そして神々の器。
花開きの聖祭で我々の前に降臨したエルドナ神の動向も気になる。仮初の命を授けられたヒメア殿は、その命を何に使うのか。世界樹が司るのは蘇生と復活。
エルドナは誰かの死を予見し、それを救う使命を彼女に与えたのではないだろうか。これはもはや、推測を超えた妄想に過ぎないが……
「まだまだ、始まったばかりというところか」
「何が?」
私のつぶやきに、エルフのリルリラが反応した。
私は少し躊躇い、目をそらす。
神々の戦い。そして代理戦争。この争乱の本質はそこにあるように思う。
ならば人は神の意思を具現化する道具なのか。再びエルドナの声を思い出す。そして目の前のエルフを、エルドナに仕える僧侶の瞳を見る。
「……ま、新しい冒険が、だな」
言葉を濁し、私は報告書を閉じた。
宿の窓から、四角く区切られた空が見えた。私が見てきたものは、まさにこれだ。壮大な物語の、ほんの一部分。赤黒く渦巻く炎だけが見える。
水に氷、闇に嵐。残る世界で見る景色は、今とは違っているはずだ。
神々は、竜の世界は我々に何を見せてくれるのか。ドラゴンキッズのソーラドーラは低く喉を鳴らした。
「期待させてもらうとしよう」
まだ見ぬ景色に、私はそっと呟いた。