トンネルを抜けると、そこは雪国ではなかった。
誰もが絶句し、立ち尽くす。
氷の領界、とこしえの氷原を進むナドラガ教団輸送隊。彼らと私の前に現れたのは、まことにもって筆舌に尽くしがたい、美しくも異様な光景だった。
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深い青に染まった氷の大地を、色とりどりの光が照らす。嘘のようにぴたりと止んだ吹雪に代わって空を覆うのは、眩暈を催す万色のオーロラである。
緑、薄紅、紫、黄色……極光は狂ったような色彩を天より投げかけ、透き通った氷がそれを跳ね返す。宝石のような果実を実らせた氷柱オブジェは、いよいよ不可思議な色に染まっていった。
私もあちこち旅をしてきたが、このような光景には初めてお目にかかる。もちろん、炎の領界から出たことのないナドラガ教団員たちにとっても、同じことだろう。
美しい、と誰かが言った。
恐ろしい、と誰かが言った。
輸送隊員の半数が前者に、残りが後者に頷いた。
私の意見は、どちらかと言えば後者に近い。ヒレが震え身体に鳥肌が立つのは、寒さのせいだけではない。私はあらためて空に舞う極光を、その極光が映し出す世界を仰ぎ見た。
大自然の奇跡? 否。この鮮やか過ぎる色彩空間は、自然を超越した代物ではないか。カラフルを通り越して、いっそケミカルでさえある。
万華鏡じみた空の色を見上げるたびに、私の胸には漠然とした不安がこみ上げてくるのだった。
そして、私はふと、この感覚が初めてでないことに気づく。
どこかで……そう遠くない記憶の中に、これと似た景色を見つけ出す。
隣で空を見上げているナドラガ教団員たちは、もっと早く気づいていたのではないだろうか。
それは炎の領界、辺境の村アペカよりさらに奥地、大陸の東端で見上げた空の色だった。
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油の虹を思わせる色とりどりの輝きが、炎の世界に渦巻く。まばゆい空。
一方、この世界では鮮やかにして奇妙なオーロラが、万色の光を氷の大地に投げかける。
どこか似通った現象だ。単なる自然現象と呼んでよいものだろうか。
私は二者を頭の中で並べ、ともに空に浮かべてみた。
あまりに突飛な思い付きかもしれないが……この二者は、実は同一のものなのではないだろうか。
つまり、両領界の頭上には同じものが渦巻いており、それが炎に歪めば油の虹に、冷気に凍ればオーロラに変わる。見た目は違うが、見上げる空は同じというわけだ。
この仮説が正しいとすれば、残る水、嵐、闇の領界ではどんな空が竜の民を見下ろしているのだろう。
そして、この輝きの正体とは……?
グランゼドーラの大賢者ルシェンダ殿であれば、この謎をたちどころに解いたかもしれないが、あいにく私は一介の魔法戦士にすぎず、知識の持ち合わせがない。
とりあえず、報告書にこの現象を記録し、後は学者たちに任すとしよう。
さて……。
美への感動と美への畏れ。それがこの景色を見た者の抱く主な感想だったが……
ここに第三の意見を紹介しよう。
荷車からひょいと飛び降りたそのコメンテーターは、ナドラガ教団員でも魔法戦士団員でもない。私の個人的な輸送物、旅の相棒、エルフのリルリラである。
彼女は頭上の景色を仰ぐや、開口一番、こうのたまった。
「美味しそう!」
……空を食べようというのだろうか。エルフの顔をまじまじと眺める。
「だって、シャーベットみたいじゃない」
彼女が指さすのは、氷柱オブジェの先に刺さった宝玉のような球体だった。
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なるほど。見ようによってはそう見えなくもない。
シロップのようなカラフルな光に照らされ、凍り付いた氷球がきめ細かな光を放つ。
だが、さすがに道端の木にシャーベットが実っているなど、お菓子の国ではあるまいし……
笑い飛ばそうとして、私はハタと口をつぐんだ。
お菓子の国。
ナドラガ教団員たちが聞けば、きっと笑うだろう。
だが我々は……アストルティアの民は、それが絵空事でないことを知っている。
オルフェア。プクリポたちの町。ウェハースの塀にケーキの屋根。"お菓子の国"は実在する。
そして私の推測が正しければ、氷の領界を支配するのは、プクリポの神、ピナヘト。
……シャーベットの木。いかにもプクリポ好み、すなわちピナヘト好みではないか。
一度そう考えてしまうと、この幻想的な景色もカラフルなオーロラも、全てプクリポ風に思えてきて、へなへなと力が抜けていくのだった。
輸送隊員の一人が地図を片手に声を上げた。どうやら、目的の集落はここから遠くないらしい。
一行は景色から目を引きはがし、行軍を再開する。
ほどなくして、場違いなほど繊細な氷細工に彩られた門が、我々の視界に現れた。
隣に掲げられた立札には、イーサの村、とあった。