○月×日
……などと、ぼかした書き方はよそう。
あれが何月のことだったか、仮にそれを忘れたとしても、日付だけは決して忘れることはないだろう。
その月の10の日。イーサの村にて。
ヴェリナードからの指令により氷の領界を調査する私は、残る未踏領域、白霜の流氷野……領界の南方地域へと向かうべく準備を整え、部屋のドアを開いたところだった。
何か黄色いものが、頭上を走るのが見えた。
もはや見慣れたオーロラか。いや違う。
確かにこの領界のオーロラはいやに鮮やかな色をしているが、あそこまではっきりとした色ではない。
何より、オーロラは大声で喚き散らしたりはしないはずだ。
「せーの、イオラ!!! わはははは、リレミトと答えた人は中々のツウですね!!」
黄色い物体は、やけにはしゃいだ様子で爆笑し、翼を広げた。
ふらふらとそれに追随する飛行物体がもう一つ、こちらは知った顔だ。ドラキーのラッキィ。
彼もこの浮かれっぷりに当てられたのか、黄色い同族と一緒になって踊り始めた。
ご機嫌な飛翔体、その正体はドラキーマ。いよいよ図に乗り風に乗り、コウモリ達は歌いだす。
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「さあて、次のお題です! 防具屋さんにレッツゴー!!」
天は踊り、人も酔わせる名調子……と、いうより、酔っ払いの大騒ぎの方が近いか。
私は旅支度のまま空を見上げ、しばし呆然としていた。一体、何の祭りが始まったというのか。
訳が分からなかったが、少なくとも一つ、わかったことがある。
今日の出発は取りやめにした方が良さそうだ。とても探索に集中できそうにない。
狐につままれたような気分のまま、私は宿に戻るのだった。
後で知ったことによると、この日はドラキーマが主宰する祭りの日だったらしい。
私は知らぬ間に彼らのお祭り会場に足を踏み入れていたようなのだ。つまり、"場所"が悪かった。
場所と言っても、ここはイーサの村なのだが……それとは少し意味が違う。私も確たることはわからないが、酒場で同席した旅人達は、鯖の問題、と言っていた。
なるほど、鯖の問題ならば仕方がない。鯖は足が速いからな。諦めるしかない。
「どういう意味?」
聞くなリルリラ。聞かれたところで答えられん。
納得するしかないのである。
こうして私の南方探索は、予定より1日遅れて始まることになったのだった。
探索の前に村で情報を集めてみたが、残念なことに村人の話によると、南には何もないそうだ。
「古い塔があって、変な奴が試練とか何とか言ってるけど、それだけで何もないんだ」
と、村人モンヌ氏は語る。なるほど成程……。
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そのあからさまに"何かある"状況をして"何もない"とのたまう彼の感覚には、大いに疑問を抱かざるをえない。
ま、日々の生活に関わりのないモノは、彼らにとって無いも同然なのだろうが……。
兎も角、我々の求めるものは、間違いなくそこにある。
いよいよ探索も終盤に差し掛かってきたようだ。
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白霜の流氷野は、領界の南方、カーレルの地底湖から繋がる巨大な湖の上に、橋を架けるような形で凍結した氷の大地である。
何気なく湖面に触れると、指が凍り付くほどの冷たさに思わず声が出た。ここに落ちたら、いかにウェディが泳ぎ上手だろうと、まず助かるまい。
遠くを眺めれば、時折訪れる流氷が氷山にぶつかり、緩やかに地形を変えていくのが見えた。
こんな僻地には来る者も少ないだろうと思っていたのだが、道中、釣りに勤しむ漁師たちの姿を何度か見かけた。
氷の領界において、魚は貴重品である。この辺りは魔物も手ごわく危険も多いが、一攫千金を狙う山師たちは危険も顧みず、ここに足を踏み入れるらしい。
すれ違いざま、とりあえずエールを送ると、感謝の声が返ってきた。気のいい男たちである。風さえ凍る氷野にて、ほんの少し心が温まった瞬間だった。
そんな小さな出会いを経て、我々は目的の場所へとたどり着く。
凍てつく空と煌めくオーロラを突き刺すがごとく、厳かにそびえる氷柱。人呼んで、氷晶の聖塔。
解放者の名で知られる勇敢な旅人を初めとして、数々の冒険者がこの塔の試練に挑み、その多くが返り討ちにあったという、いわくつきの場所である。
お約束の円盤遺跡もすぐそこだ。恐らく解放者によって既に道は開かれているのだろうが、試練を突破しない限り、次の領界へと足を踏み入れる権利は得られない。
ごくりと唾を飲み込む。果たして、私の力が通用するだろうか……。
ぴくりと体が震えたのを、寒さのせいにできたのは幸いだった。