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氷晶の聖塔に設置された簡素な機械装置。それは守護者の強さを操作するスイッチである。
どうしても先に進みたい冒険者のために用意されたピナヘト神の慈悲、救済の装置、ということになっている。
私には、冒険者の心を折る装置にしか見えないが。
私は腕を組み、飾り気のないスイッチをじっと見つめた。
繰り返すが、私にとってこの装置は、あの守護者以上に強敵だったのだ。
スイッチ一つ、誰にでも押せる。簡単なことだ。それで、楽に前に進める。
だが、それを押した瞬間、私はとてつもない敗北感を背負うことになるだろう。
そして、それを背負って旅を続けられる程、自分が強くないことを私はよくわかっていた。だから、これを使う気は全くなかった。
我ながらくだらないプライドだと思う。だが、似たような気持ちを抱く冒険者は恐らく少なくない。
そして……実際に旅を諦めた者も、中にはいるのではないか?
繰り広げられた熱戦にやや上がった気温も徐々におさまり、渇いた汗の跡を冷たい風が舐め上げた。
神々は、我々をふるいにかけようとしているのだろうか……
否。そんなはずはない。
冒険者の数が減ってしまえば、神々にとっても都合が悪い。神がそれを願っているはずはないのだ。
ならば神は、この小さなスイッチが本当に冒険者を救うものだと、信じているのだろうか。これがあるから、何の問題もないと……だとしたら、不遜ながらそれは的外れな考えだ。
冒険者という人種は、ただ先に進めればそれで満足できるという生き物ではない。
理知的で合理的な神々の目には、それが見えていないのでは……?
物言わぬ小さなスイッチは、私を試すように淡い輝きを放ち続ける。
あるいは、真に強い心を持つ冒険者ならば、何を気負うこともなく、このスイッチを押せるのかもしれない。
狭隘な自我の折から解き放された、自由な魂。彼らこそは真の冒険者である。
それに比べて私の心のなんと脆弱なことか。
私は彼らの強さに憧れる。憧れて、恐らく届くまい。
結局、私は私のやり方で前に進むしかないのだ。
私は"解放者"の開いた門を、闇の領界へと続く光の道を見た。
古の竜の大地は、道行く者に強さを求める。強くなければ進めない道だ。肉体が、あるいは、心が。
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「面倒くさいなあ、もう」
リルリラが頬を膨らませた。
「だいたい、あの装置に強いとか普通とか書いてるから、ヘンに意地張っちゃう人が出てくるんだよね。一人用とか、フルメンバー用とか書けばいいのに」
なるほど、妙案だ。だが、重大な欠点がある。
あの装置は最初から解放されているわけではない。つまり今の案を採れば、一定期間、一人旅お断りと公言することになる。
また、フルメンバーだからといって楽に勝てる相手ではない。にもかかわらずそう書いてしまえば、ますます他の強さを選びづらくなるだろう。
あちらを立てればこちらが立たず。神々もさぞ、頭を悩ませているに違いない。
……だから、あんな装置は取り壊して守護者を調整すればいいと思うのだが。
それでは物足りない、というならば……
ことりと、小さな音がして袋から本が零れ落ちた。
強戦士の書と呼ばれる本だ。最近、妙に軽くなったように思う。あの魔女以来、新しいページが書き記される気配はない。白紙のページがかなり余っている。
今戦った守護者など、まさにこの本に記されるべき強者だったように思うのだが。
旅の合間に自由に挑む、強敵との戦い。これならば今の守護者、いやそれ以上の、一人では太刀打ちできないような強さでもいい。腕自慢の戦士たちにとっては、格好の遊び場になるだろう。今、彼らは暇を持て余している。
強敵と言えば、大魔王マデサゴーラは印象的な相手だった。人格はともかくとして、それまでの敵とは一線を画す強さ。あの時、勇者姫と共に彼に挑んだ冒険者たちの誰もが、あの一戦を心に刻んだに違いない。
だが、この戦いを操っている邪悪なる意思とやらが特別な存在になるのは難しそうだ。何しろ規格外が多すぎる。
この調子では黒幕といえど、数多い強敵の一人に埋没していくのではないか。
まあ、余計な心配ではあるが。
ともあれ、私は先に進む権利を得た。まずは、それを喜ぶとしよう。その先のことは……
「神のみぞ知る、でしょ」
僧侶が肩をすくめた。さて、どうなることやら。
とりあえず私はヴェリナードに戻り、ことの顛末を報告するとしよう。