エルトナの空に、穏やかな風が吹く。遠くから聞こえてくる雅楽の音色が社を囲む木々の若葉を騒めかせ、奥ゆかしい空気が茶室に流れ込んだ。
私は慣れぬ手つきで茶碗を回し、そろそろ痺れ始めた脚の震えを隠しながら茶碗に口をつけ、「結構なお手前で」とサドゥの定型句とされる言葉を呟き、小さく頭を下げた。
隣に座るリルリラは、さすがにエルフだけあって慣れたものである。彼女は私の使った定型句は使わず、茶の感想をにこやかに述べていたようだ。対面の主人も嬉しそうに微笑んだ。
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このチャノユという儀式はエルトナに伝わる精神修養「サドゥ」と「ゼン」の極致であり、これに通ずるものはやがてサドゥの極意たる「ワビ・サ・ヴィー」に達するのだそうだ。
私も大いに興味があり、この茶会にも参加させてもらったのだが、想像を絶する足のしびれに早くも根を上げかけていた。
チャの道とはかくも険しいものか……。
ナドラガンド探索から戻った私はヴェリナードへの報告を済ませると、相棒であるエルフのリルリラと共にエルドナ大陸の奥地、ツスクルの村を訪れていた。
ツスクルは学問の里。リルリラもこの地で学んだ修士の一人である。かつての恩師にナドラガンドでの旅を報告したいと、珍しく殊勝なことを言う彼女に私も同行した。
その動機はチャノユへの興味、だけではなかった。
「……それは大変な旅でしたね」
と、私が意識をそらしている間に、リルリラは旅の報告を終えたようだった。
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対面に座した茶室の主人……ツスクルの長老的存在、ヒメア殿の纏う空気は、かつて会った頃と比べてなお、幽玄さを増したように見えた。
あの「花開きの聖祭」を経て、大きな体験をしたが故の変化だろうか。
世に「聖人」と呼ばれる人物の多くは、死して後に蘇り、奇跡を起こすのだという。逆に言えば、奇跡を起こすという使命ゆえの復活とも言える。
私がリルリラに同行してきたのも、実を言えばそれが理由だった。
ナドラガンドでの旅を終えた頃、私は酒場で同席した冒険者から、奇妙な話を聞いた。
ある人物から「死の運命」を予言されたというのだ。
当初、私は笑い飛ばした。何しろその冒険者ときたら殺しても死なないような凄腕なのだから。いい加減な占いや予言など気にする必要はない。私は一笑に付した。
だが、その冒険者にとって、それは笑い飛ばせるような話ではなかったらしい。予言を口にしたのは、決して冗談や嘘を言うような人物ではなかったというのだ。
もしその冒険者が本当に死ぬようなことがあれば……これはアストルティアにとって大きな損失となる。それほど大きな功績を残してきた人物なのだ。
リルリラがツスクルに行くと言った時、私はヒメア殿の顔と共に、その話を思い出した。
死と復活。使命。仮初の命。世界樹の花。エルドナ神。嵐の領界。
エルドナ神がヒメア殿に授けた使命とは、もしや……。そして使命を果たした時、彼女は今度こそ……。
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「私の顔に何かついていますか?」
と、ヒメア殿は穏やかにほほ笑んだ。私は慌てて首を振り、目をそらした。
迂闊に口にして良い話ではない。だが、何も言えないなら私は何のためにここまでやってきたのだ?
さらさらと小川のせせらぎが聞こえてきた。水は流れ、風もまた流れる。全てが流れの中に取り込まれ、それでも鳥も魚も泳ぎ続ける。
私は必死で言葉を探し、しかし、果たせなかった。
姫巫女は全てを見通したような澄んだ瞳で私を見つめ、
「良い友達を持ちましたね」
と、リルリラに微笑みかけた。
風に流され、若葉がひとひら、茶室に舞い込んだ。彼女はそれを愛おしげに受け止めた。
世界樹の花を受け入れた時、彼女は全ての運命を受け入れたのだろうか。
……いや、全て私の想像に過ぎない。取り越し苦労であってくれれば、それでいいのだ。
少なくとも、私の隣で茶菓子をつまむエルフにとっては、そのほうがいい。
障子戸を通して、柔らかな日差しが茶室を照らした。
空は高く、青く澄んでいた。